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ピン歴史に学ぶ・第5部 2000年2月2日

・ 本格的な上昇相場とはどんなものだったのかを振り返るこの「歴史に学ぶ」シリーズもそろそろ終盤です。
・ 戦後の復興期、高度経済成長期を経た日本経済は、戦後初めての大きなピンチとも言える石油危機の時代を経て、いよいよ『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の時代を迎えることになります。そうです、『バブル』といわれたあの時代です。
・ 幸いにしてというか、不幸にしてというか、不肖私は80年代の前半に社会人になったため、ほとんどその恩恵に浴すことなくあの時代を通り過ぎてしまいました。
さあ、それでは振り返って見ましょう。あの時代を!

D.1981年〜1989年
(1981/8〜1982/10、日経平均8019円→6849円、▲14.6%)
(1982/10〜1989/12、日経平均6849円→38915円、468.2%)
・ 前回70年代はインフレ、80年代はディスインフレの時代と述べましたが、80年代はこのディスインフレのなかで世界同時的に金融緩和と景気回復が進行し、株高がもたらされた時代でした。また、規制緩和(ディレギュレーション)の流れが民間活力の活用、民営化につながり、もう一方では自由化の流れとして東西冷戦構造の終焉につながっていくことになります。

・ 79年7月、FRB議長にボルカーNY連銀総裁が指名されたところから80年代のディスインフレはスタートします。このボルカーさんはグリーンスパン氏の前のFRB議長で、87年まで8年間FRB議長の職にあり、『ドルの守護神』、『史上最高のインフレファイター』などと呼ばれた名議長でした。余談ですが、ボルカーさんの後任にグリーンスパン氏が決まった直後、ドルと米国債価格が一時的に値下がりするくらいボルカーさんに対する信任は強く、また、グリーンスパン氏に対する不安が大きかったものでした。いまのグリーンスパン氏の影響力の大きさ、信頼の高さからは考えられないことですね。

・ ボルカー議長が就任した当時の米国は、62年に始まったベトナム戦争による巨額のドルの垂れ流しにより経済のインフレ体質が定着し、金利は上昇トレンドを継続、その結果、株式市場では、NYダウが約17年にわたるボックス相場を余儀なくされていました。ビジネスウイーク誌が『米国の株式の死』を伝えたのも79年でした。

・ このような中登場したボルカー議長は、公定歩合の引き上げとともに、新金融調節方式を導入、徹底した通貨供給抑制策でインフレの封じ込めに乗り出していきます。その後、価格の高騰から需要低迷、収入の減少に四苦八苦していたOPECが、83年3月にはじめての原油価格の引き下げ(1バレル34ドル→29ドル)に踏み切ったこともあり、さしものインフレも次第に沈静化、ディスインフレの下で金融緩和、景気拡大、株高へとつながっていくことになります。

・ ビジネスウイークが『米国の株式の死』と伝えたとおり、約17年にわたり低迷を続けた米国の株式相場は、82年8月から新たなスタートを切りました。当時、ブラジル、メキシコなどの膨大なドル債務を抱えた発展途上国は、米国の高金利政策の影響で金利負担が重く、次第に金利支払いに窮するようになっていました。このような中、NYダウは8月12日に776.92ドルと81年以降の安値まで下落、また、メキシコペソは下落に次ぐ下落で、ついに13日には外貨流出を抑制するために外為市場を閉鎖し、対外送金を停止するに至りました。

・ この事態を受けて、ボルカー議長は直ちにメキシコに対して債務返済のリスケジュール措置をとり、金融緩和に踏み切りました。このあたりは、コメントを書いていても少しどきどきします。危機に際しての間髪をおかない対応、大胆な政策の転換、今の米国の繁栄もこの延長線上にあるのですね。

・ 米国株式はFRBが8月16日に公定歩合を11%から10.5%に引き下げるとともに、猛反発に転じます。17日のNYダウは前日比38.81ドル高(上昇幅当時過去最高、上昇率4.9%)の831.24ドルをつけ、11月3日には1065ドルと10年ぶりに史上最高値を更新、一気に新しい上昇トレンドに入っていくことになります。

・ 一方、日本はというと、既に80年から金融緩和に入っていたため、株式市場の大底は他の先進国とは若干時期が異なり、10月1日の日経平均6849.78円が大底となりました。


ピン歴史に学ぶ・第4部 2000年1月24日

遅ればせながら、みなさまあけましておめでとうございます。
本年もなにとぞよろしくお願いします。

・ いざなぎ相場と列島改造ブーム相場のお話をしたところで長いブレイクに入り、申しわけありませんでした。新年早々、相場はやや波乱の展開となっていますが、少しでもみなさまのお役に立てるように、今年もがんばりたいと思います。

・ さて、今回は1974年から1981年までのお話です。
C.1973年〜1981年
(1973/1〜74/10、日経平均5359円→3355円、▲37.4%)
(1974/10〜81/8、日経平均3355円→8019円、+139.0%)

・ 1970年以降を10年ごとに区切ると、70年代はインフレの時代であり、80年代はディスインフレ、そして90年代は、世界の地域により程度の差はありますが、概ねデフレの時代と区分けされます。

・ 1960年、メジャーの石油価格政策に対抗して設立されたOPECは、資源ナショナリズムが強まる中、次第に価格決定の主導権を握り始めました。そして、73年10月の第4次中東戦争(6日間戦争、イスラエルVS.エジプト、シリア)勃発を機に一気に大攻勢をかけ、1バーレル2ドル原油から10ドル原油の時代を迎えることになりました。これが第1次石油危機です。

・ 日本では、低価格と取扱いやすさから1950年代後半より石炭から石油へのエネルギー革命が急速に進展し、1960年代には、安い原油をフルに利用して、エネルギー多消費型で重厚長大産業中心の高度成長を成し遂げました。そのため、原油価格の高騰は日本経済にとってストレートに大きな打撃となり、結果として構造不況業種を数多く輩出することになったわけです。
・ これは何も日本に限ったことではありません。インフレと不況が同時に進行するいわゆるスタグフレーションが発生し、世界不況につながっていきました。

この間日本では、73年年初から総需要抑制政策が始まり、金融も引締められました。年初には4.25%だった公定歩合が、狂乱物価の中、74年年末には9%まで上昇したのです。まったく、今では考えられないような金利水準ですね。

・ その後74年をピークにインフレがようやく沈静化に向かったことで、75年4月からは利下げを実施していくことになります。日米ともに景気の谷は75年の3月。米国ではその後、80年1月まで58ヶ月にわたる景気拡大が続くことになりますが、日本もこの恩恵を享受して、輸出主導の景気回復を果たすことになりました。

・ その後も、急激な円高(76年末の1ドル294円から78年10月末の175円まで)や79年1月からの第2次石油危機(78年末1バーレル12.7ドルから81年10月34ドル)に遭遇するわけですが、日本経済は、エネルギー多消費型産業構造から省エネ型へ、また、重厚長大型から軽薄短小型へと構造転換が図られ、国際競争力を回復することになります。
・ また、第2次石油危機後は、オイルマネーの株式市場への還流が起こったりもしましたね。

・ こうしてみると70年代は日本経済の戦後最初の構造調整期だったわけです。

・ 一方、株式市場は、74年の10月をボトムに81年の8月まで、小さな調整を繰り返しながらも上昇基調が続いたわけですが、この大きな上昇局面は、日経平均で見て次の6つの局面に分けられます。

@ 3355円(74/10)→4564円(75/5)、+36.0%
景気回復期待の理想買い相場

A 3814円(75/9)→4865円(76/7)、+27.5%
国内景気回復に加え、米国景気回復に伴う輸出関連中心の相場

B 4451円(76/11)→5287円(77/9)、+18.8%
円高進行下焦点が定まらない展開
C 4597円(77/11)→6212円(79/1)、+35.1%
円高克服銘柄と資源株相場のハシリ
D 5929円(79/4)→6839円(80/2)、+15.4%
金利上昇、円安、原油価格上昇下の資源株相場
E 6475円(80/3)→8019円(81/8)+23.8%
オイルマネー還流を背景とした国際優良株、大型株相場

・ 最後に、74年10月9日から81年8月7日までの業種別の当落状況と出世銘柄を参考までに載せておきます。ご覧ください。

以上


ピン歴史に学ぶ・第3部1999年12月21日

前々回前回と2回にわたりいざなぎ相場と列島改造ブーム相場の話をしてきましたが、そろそろまとめをしておきましょう。当時の相場を実際に体験してきた関本氏に当時のことを振り返って頂きました。以下はその要約です。

・昭和40年(1965年)といえば、山一が破綻して、日銀の特有を受けた年でしたね。共同証券に続いて、日本証券保有組合が設立されて大量の株式を吸い上げてきたのですが、市場は年初からじりじりと下落、7月12日には、日経平均で1020円の安値をつけました。これが反転したのは、7月27日に政府が戦後初の国債(赤字国債)の発行を含む景気振興策の実施を決定したからです。これをきっかけに市場は、全面高となりようやく長期の下落相場に終止符を打つことになりました。このときは、特に商社株の反発力が目立っていました。

・その次に記憶に残るのは昭和43年3月(1968年)のゴールドラッシュです。金に対する世界的な投機がおこり、この動きはたちまち日本にも伝わりました。株式市場では非鉄、不動産、海運、鉄鋼、化学、繊維株などが買われる一方、松下など電機、精密や輸出関連株が売られました。この頃から市場の出来高が回復し、証券会社も大変忙しくなりました。なにしろ、商いに事務処理が追いつかず、事務処理をなんとか間に合わせるために立会時間の短縮を行ったのですから。

・相場は昭和43年(1968年)、44年(1969年)と順調に上昇し、いざなぎ相場を謳歌することになるのですが、ここで思い出されるのが昭和44年(1969年)のドレーファス(米国投信会社)による松下の大量買いです。なにしろ、1日500万株の買付けを続けたのですから。松下のほかにも、ソニー、ミツミ、TDK、アルプスなどの電機、部品メーカーが大商いとなり、大幅に上昇しました。大和ハウスの大相場が出たのもこの頃でした。高度成長により個人の住宅ブームにも火がついたのです。

・また、株式の利回りががはじめて3%の壁を越えて低下してきたのもこの頃です。この動きのきっかけになったのはPER理論の導入で、これ以降、株価を計る物差しとしてPERが使われるようになっていきました。

・昭和46年(1971年)から昭和47年(1972年)は過剰流動性相場です。金融財政両面での積極的な景気刺激策が過剰流動性を生みだし、この資金が不動産や株式市場に流れ込んできたのです。また、資本自由化への対策として、企業同士での持合いが急速に進んでいきました。日本企業の持合いの原形は、大体この頃までに出来上がりました。

過剰流動相場の主役は海運、造船、鉄鋼、繊維、化学などの大型株です。電機株も動きましたが、大手3社(日立、東芝、三菱電機)を含め大型株の上昇が顕著でした。

・いざなぎ相場から過剰流動性相場まで大きな下落が2回ありました。1つは昭和45年(1970年)のIOSショック、2つめは昭和46年(1971年)のニクソンショックです。お気づきのようにどちらも海外要因からの下落です。この構図は現在に至るまで余り変わらない様に思われます。

・過剰流動相場もその後の金利引上げと第1時オイルショックによりピリオドを打つことになります。

 なお、いざなぎ相場列島改造ブーム(過剰流動性)相場の主要上昇銘柄 と 業種別上昇率 〔PDF〕を掲載しています。ご覧下さい。


ピン歴史に学ぶ・第2部1999年12月10日

・今回はいざなぎ相場の後半からです。(前半は第1部から)

B.1965年〜1973年(後半)
(1968/1〜70/4、日経平均1266円→2534円、+100.2%)
(1970/5〜73/1、日経平均1929→5359円、+177.8%)

・ドル防衛策としてケネディ大統領が63年7月に提唱した金利平衡税は64年9月に施行され、米国からの対日株式投資は途絶していましたが、67年1月に一部緩和(69年4月に再緩和、74年1月に全廃)されました。折りからいざなぎ景気の下で再び高度経済成長路線に戻った日本株式に対し、欧州勢中心の第2次対日株式投資ブームとなり、いざなぎ相場はハイテク、優良株中心の展開となりました。なんか、最近の傾向と良く似てますね。
・その時の代表銘柄が、ソニー、TDK,松下、富士通、シャープ、キャノン、リコーなどです。また、ハイテク以外の銘柄では、大和ハウス、三井不動産の住宅関連や、エーザイ、藤沢などの薬品株も上昇しました。

・いざなぎ景気の終了間際に襲ったのがIOSショックです。1970年4月30日、東京株式市場は外国人売りでパニック安、日経平均は201円(8.7%)下落の2111円をつけました。金融証券のコングロマリットと言われた国際投資信託(Investors Overseas Services)が集中投資運用で失敗し経営破綻、組入れ株式の換金売りが世界的なパニック売りを誘発しました。

・これと符号を合わせるようにいざなぎ景気が70年7月で終了。その後の景気後退局面で遭遇したのが金・ドルの交換停止を伴うニクソン・ショックで、1ドル=360円の固定相場時代の終焉でもあったのです。何か、1970年て歴史の重要な節目の一つだったような感じがしませんか。

・余談ですが、1970年といえば、不肖だんつくは10歳、小学生でした。「こんにちわー、こんにちわー、世界の国から、1970年のこんにちわー」で、大阪で万国博覧会が開かれました。アメリカ館のアポロの実物大の模型や月の石が大評判で、入場するために連日大変な行列が出来たものでした。今ならさしずめ、ディズニーランドの人気アトラクションに並ぶようなものでしょうか。しかし、その後今日まで、国民の10人に1人が見物するようなこんなモンスターなイベントはありませんでした。

・本筋に戻りましょう。70年の後半からはいざなぎ景気後の反動局面に入るわけですが、これを受けて時の政府は、財政と金融の両政策面から積極的な景気対策を打つことになりました。これが、過剰流動性資金を生み、田中角栄首相の登場とともに列島改造ブーム相場となりました。また、株式需給の面では資本の自由化が進み、外資対策の一環としての「持合い」は73年度までにそのプロトタイプが出来上がったとされています。

列島改造ブーム相場の主役は、三光汽、ジライン、新日鉄、重工、伊藤忠、丸紅、三菱銀行、住友銀行、野村證券、東京海上、本田などでした。とりわけ、ふな株の上昇はけたたましく、今の通信関連も真っ青というくらいの相場でした。


ピン歴史に学ぶ・第1部1999年12月2日

・90年以降私たちは、基調下落相場の中で悪戦苦闘を繰り返してきました。下落相場のリバウンド期間は短く、それもしっかり売り切らないと最後はやられてしまう。株は長期投資なんてうそだー。そんな思いを何度したことでしょう。
・ですから、相場がある程度上昇してくると、どうもそわそわ落着かなくなる。もうそろそろ売り時なんじゃないか、もう下がるんじゃないか、と。
・そこでです。良い機会ですから、そろそろ日本の株式相場の歴史を学んでみましょう。
そして、本格的な上昇相場とはどんなものだったのか、その上昇の期間、時代背景、相場をリードした銘柄、業種などについて振り返って見たいと思います。

・「新型バブルといわれるくらい超値嵩株が続出している。その反面、低位に放置され低迷を余儀なくされている銘柄が非常に多くなってきた。」これは、関本さんの今月の勉強会の資料の書き出しの部分です。

・マスコミの論調は、あまりにも情報通信関連銘柄に物色が集中する最近の相場に対し、その上昇の持続性を疑問視するものも散見されます。本当にそうでしょうか。90年以前の株式相場を見ると、本格的な上昇相場には必ずその相場をリードした銘柄、業種が存在する一方で、それ以外の銘柄、業種は本当に動かない、なんてことは実は何度も起こっているのです。それではその時はどうだったのか。それを、皆で見てみようって訳です。少しはためになるかもね。

・戦後を株式相場と重ねあわせて時代を区分すると
(1)復興期 1945〜54年度 10年間 実質GNP成長率 年率8.7%(1947〜54年度)
(2)高度成長前期 1950〜64年度 10年間 実質GNP成長率 年率9.37%
(3)高度成長後期 1965〜73年度 9年間 実質GNP成長率 年率8.9%
(4)構造調整期期 1974〜82年度 9年間 実質GNP成長率 年率3.6%
(5)債権国形成期 1983〜89年度 7年間 実質GNP成長率 年率4.4%
(6)構造改革期 1990〜97年度 8年間 実質GNP成長率 年率1.1%
とこんな風になるのですが、ここでは高度成長後期 以降についてコメントします。

A.1965年〜1973年(前半)
(1965/7〜66/4、日経平均1020円→1588円、+55.7%)
(1966/4〜67/12、日経平均1588→1250円、−21.3%)
・高度成長の前期は神武景気(54/11→57/6、31ヶ月)、岩戸景気(58/6→61/12、42ヶ月)、オリンピック景気(62/10→64/10、24ヶ月)の3つの景気拡大局面によって構成されています。この時期はフルに米国のゴールデンシクスティーズと並行する並行する時代で、輸出の好調と内需拡大が噛み合って、設備投資ブームが起こりました。ところが、この資金需要が株式のオーバーイシューにつながり、64年1月に日本共同証券、2月に日本証券保有組合が設立されて、合計4161億円(64年末の東証一部時価総額6.82兆円と比べると何と6.1%)の株式を吸い上げることになり、更に、65年の6月から8月には日銀特融を招くような証券不況につながったわけです。余談ですが、この時に特融を受けた証券会社の一つが当時業界トップの山一證券で、大蔵大臣は田中角栄です。

・この証券不況と同時進行したのが40年不況で、先ほど述べた旺盛な設備投資が生産能力過剰となり、17業種の不況カルテルによる減産につながる惨状で構造不況と呼ばれました。
政府はこれを打開するため、1965年7月27日に戦後一貫して発行していなかった長期国債の発行を含む景気対策を発動しました。時の大蔵大臣は福田赳夫です。いざなぎ景気(65/10→70/7、57ヶ月)はこの秋からスタートする訳ですが、株式相場もこの対策を契機に、長期上昇トレンド入りすることになりました。久々に活気を取り戻した株式市場は短期大幅高となりましたが、その後少し足踏みをします。66年3月から共同証券、保有組合が保有株式の売却に踏み切ったことから需給が悪化、また、67年11月の英ポンド切り下げの影響も相俟って、景気、企業収益ともに拡大する中で67年12月に1250円の2番底を形成するにいたりました。

・今回は、書き出しの部分で疲れてしまいました。続きは次回と致しましょう。次回はいざなぎ相場の核心に迫ります、の予定です。関本さんも登場します。なにせ、歴史の証人ですから。


ピン超値嵩株の出現に思う 1999年11月10日

・4689ヤフージャパン69,000,000円、4726ソフトバンク・テクノロジー248,000円、9435光通信129,000円、9984ソフトバンク54,300円、いずれも言わずと知れた情報通信関連の超値嵩株です。4689ヤフージャパンは5万円額面ですが、他はいずれも50円額面です。
それぞれの価格は11月10日の終値です。
・おもえば、9月10日は日本の株式取引の歴史において記念すべき1日でした。1878年(明治11年)に東京株式取引所で株式取引が開始されてから122年目を迎える歴史の中において、50円額面株式で初の、株価10万円銘柄出現の日だったからです。5万円額面に換算すると1億円という超値嵩株の誕生です。その銘柄は、7月23日店頭公開、前述のソフトバンク・テクノロジーだったのです。公開価格4,600円に対して、初値が40,000円、初値倍率も8.7倍と驚異的でした。9月10日に101,000円をつけた後も、将来に期待を抱かせる事業内容とネーミングの妙から折りに触れて物色され、11月10日には高値249,000円まで上伸しています。
・値嵩株の元祖といえばやはりソニーでしょう。昔話と笑うなかれ。賢者は歴史に学ぶ、です。戦後の高度成長期は神武、岩戸、オリンピック景気からなる前期(1955〜64年度、平均経済成長率9.3%)と、いざなぎ景気、列島改造ブームからなる後期(1965年〜73年度、前同8.9%)に大きく分けられます。ソニー株の値嵩化はいざなぎ景気(1965/10→70/7、57ヶ月)を背景としたいざなぎ相場(日経平均1965/7/12 1,020円→70/4/6 2,534円、2.48倍)においてでした。高度成長下の消費ブームは神武、岩戸景気下の「三種の神器(白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫)」から「3C(カー、クーラー、カラーTV)」に進化、オーディオ機器の本格普及や持ち家ブームなどとも重なり、電機、精密、住宅、不動産、薬品株が相場をリードしました。買いの主役は海外投資家で、中でも、欧州では日本株専用投信の設立が相次ぎ、金利平衡税緩和にそって米国勢も追随しました。
・いざなぎ相場における電機業種での出世株の双璧はソニー(1965年安値251円→69年高値5,850円、23.3倍)と東電化(現・TDK、前同53円→前同2,960円、55.8倍)です。そのソニーの高値は当日の全単純180円の32倍でした。一方、ソフトバンク・テクノロジーの高値249,000円は当日の日経店頭平均2,341の106倍。このような超値嵩株の出現がマーケット参加者の株価水準の認識を大きく変えつつあることは言うまでもありません。
・ソニーはその優れた商品を通じて世界中にブランドが浸透、1969年4月期末の外国人保有株比率が29.1%に達するなど、既に国際銘柄としての地位を築いていました。しかし、その後の景気変動、ニクソンショック以降の通貨変動、2度の石油危機などがあり、5,850円の高値をその後に更新したのは、12年後の1981年6月でした。
本格的な上昇相場には、必ずその相場をリードした出世銘柄が存在しました。それらは、底値から年単位で上昇し、上昇率も非常に高いものとなっています。また、相場をリードする出世銘柄なくしては、本格的な上昇相場はないといっても良いでしょう。我々は、90年以降初めて、本格的な上昇相場を迎えつつあります。長期的な視点と短期的な視点の両方から相場を見る言うは安し、行うは難しです。特に、10年近い下げ相場の後ではなおさらです。少しの勇気と謙虚な心で上昇相場に立ち向かいましょう。


ピンまたまた外国人投資家動向(続き)1999年9月17日

・またまた外国人投資家動向の続きです。
・年初からの外国人投資家の買いは、昨年秋の大幅な円高を受けて、円安懸念が払拭されてい たことが、大きく影響していたと考えられます。
7月上旬までは、円高が進む中で海外経済への収益の
依存度が高いハイテク銘柄の上昇が顕著でした。
これは、何も今回に限った特殊な動きではあり
ません。
94年前半の円高・株高局面にも起きています。ソニー、シャープ、ローム、ミネベアなど
の企業では、外国人持ち株比率が大きく上昇しました。

・しかし、ここで注意しなくてはならないのが「経済が明確に悪化しない」という条件が重要だということです。
たとえば、95年前半の80円に向かう円高は、明らかに日本経済や株式市場にマイナ
ス要因でした。
企業の競争力は失われ、業績下方修正に結びつく円高は株価に悪影響を与えま
す。
当然、ドル建であっても日本株のパフォーマンスは悪化します。


・問題は、どこが為替レートの分水嶺かということです。
市場の円ドルレートを日銀「短観」で発表
されている大企業・製造業の想定為替レートと比べてみましょう。
市場レートが想定レートから大
きく乖離しなければ、企業収益の下方修正は起きないはずです。
経験則からは、一つの目安とし
て、市場レートが想定レートから5%以上乖離すると、円高は業績の下方修正要因となり、株価は調整しやすいと考えられます。

94年前半は円高が進んでも、乖離率が5%にとどまり、株価は上
昇しています。
逆に、93年秋や、95年前半は市場レートが5%以上乖離して、株価が大きく下落
しました。


・6月調査の「短観」で大企業・製造業の想定為替レートは上期117.01円、下期116.57円、通期で 116.78円です。
(ちなみに日銀のHPを開いて、「短観」の6月調査をクリックすると1ページ目に事
業計画の前提となっている想定為替レートが記載されています。興味のある方はぜひご覧ください。)

7月中旬まで122円台から117円台に円高が進んでも、株価が大きく下がらなかった一因は、

業績予想の下方修正につながる可能性が低かったためです。しかし、仮に110円を割れる円高 定着すれば、想定レートから5%以上の円高となります。
この場合には、企業業績に下方修正
リスクが強まり、株価にも悪影響が出るものと思われます。(前回の9月8日の本欄更新時点では、為替は110円近辺にあり、当局の口先介入もあるなかでこの水準が定着するか否かが、相場を見るポイントとなっていたと考えられます。もし更に円高に突っ込めば、当局の介入が入り、110円程度までは、戻す可能性があり、下期中の定着と言い切るにはもうひとつといったイメージが機関投資家の間では大勢でした。)

・ドル建でリターンを見る外国人投資家にとって、今後円安基調に戻るのであれば、為替差損が 出るため日本株が買いにくくなります。
一方、今日現在の円ドルレートは、更に円高が進んでも業績の
下方修正リスクを考えれば、日本株で高い投資リターンを期待しにくい水準であると言えます。

らに、外国人投資家が多く保有する加工組み立て型業種は、海外戦略の進展を考慮しても、業 績が為替の影響を受けやすいことや、110円を超える円高ドル安が進めば、これまで介入を行ってきた日本の政策当局に対する信任が揺らぐことなどもマイナス要因と考えられます。

・9月16日の東京市場の円ドルレートの終値は104.98-105.00円で、「短観」の想定レートからみると、約10%円高方向に乖離しています。
これはもう明らかに
分水嶺を越えて定着したと判断する投資家がでてきておかしくない水準です。
初から過去最高のピッチで買い越しを続けてきた外国人投資家ですが、為替相場の観点から見ると、日本株買いが加速する状況に一旦は歯止めがかかったと見てよいのではないかと思われます。

・最後に円ドルレートをチャート的に簡単に見てみましょう。円ドルレートの主要なポイント値は
(1)99年1月高
値が108.65円、
(2)黄金分割比率の戻り水準が105.68円、
(3)9月の一目均衡表の抵抗ゾーン
が112.54円〜103.61円
です。103.61円を突破すれば100円割れも視野に入る状況になります。

円ドル相場は今まさに正念場にあるといえます。


ピン続・続・外国人投資家動向1999年9月8日(続・外国人投資家動向より続く。クリックすると飛びます)

・まず、前回お話した外国証券の売買動向が、タイミング良く9月2日付けの日経新聞(マーケット 総合1面)に掲載されています。まだお読みになっていない方はぜひご一読ください。

外国証券2
2社の8月の売り越し、買い越し上位20位までの銘柄と金額およびコメントがのっていますよ。
銀、富士銀、第一勧銀の事業統合が発表されて、外国人も相当慌てた様子がよくわかります。

・今週は、月末月初に株式相場が大きく動いて、皆さんも大変だったと思います。少し落着いたところで、今回の経験を次回に生かすためにも、何がマーケットで起こったのかについて整理してみましょう。

・まず、今回の月末の動きは、MSCIインデックスの銘柄入れ替えに関するものだと言われています。
MSCIインデックスの銘柄入れ替えの内容については、すでにお話しましたのでご理解いた

だいていると思いますが、これが、どうして月末の急落につながったかについて考えてみましょ う。
・MSCIインデックスは、外国人投資家が日本株を運用するに際して用いる代表的なインデックス (ものさし)です。このインデックスを構成する銘柄が入れ替わるわけですから、外国人ファンドマネージャーも、自分の運用するファンドの組入れ銘柄の変更と、その組入れ比率の変更を迫られ ることになります。
ここで、思い出して欲しいのが、
NTTデータが日経225に採用される直前の動 です。

・NTTデータが日経225に採用されると、その時価総額はインデックスの7%にも達することにな ります。ファンドマネージャーは自分が運用するファンドの総額に変化がないので、既に組入れて いる銘柄をいくらか売却してキャッシュを捻出し、その代金でNTTデータを買い付けることになりました。
そのために、225銘柄のなかに、値を下げるものが多かったわけです。


・今回のMSCIインデックスの入れ替えについても、同様の動きが起こったものと思われます。新 規採用銘柄にはソフトバンク、東芝、JT、武富士など、時価総額の大きいものが多数入っていました。
そのため、削除銘柄を売却するだけではなくて、新規採用銘柄を買いつけるために、既に
組入れている銘柄をいくらか売却する必要に迫られたのでしょう。
既存のMSCI採用銘柄の中に
大きく下げるものが散見されたのはおそらくそのためだと思われます。

・今回のMSCIインデックスの銘柄入れ替えでは、新規採用銘柄の上昇率に関する面のみ強調され、既存の組入れ銘柄に関する動きは、ほとんどと言って良いほど知らされていませんでした。 そのため、展開を洞察する力が不十分となっているきらいがありました。

・今回のMSCIインデックスの銘柄入れ替えは、新規採用銘柄が30銘柄、削除銘柄が39銘柄、変わらずが266銘柄です。各々の、内容については、9月1日に各営業部支店にFAXしてあるそうですからもう一度確認してください。(入れ替え銘柄は表参照)
今後の、外国人の投資動向を見ていく上で必ず参考になる
はずです。

そして、次の銘柄入れ替えが起こるときには、今回のことを
必ず覚えておいて対応してくださ いね。(書き手もわかっとたなら、さっさと言わんかいとの声が聞こえます。次は言うよ!)


・それにしても、銘柄入れ替えが頻繁に起こるインデックスに連動するファンドを運用するのは大なのです。(昔の苦労を思い出します。バカな上司が何回説明してもわかってくれずに結局タイミングを失して、自棄酒飲んで、「ぐれてやる」ってさわいだら、高い勘定が回ってきて・・・・・ウウゥ・・・だから先に教えたくなっなかった・・・ナンチャッテ)

銘柄入れ替えにかかるコストはばかにならないし、入れ替えのタイミングも難しいし、
外国人だって結構こまっているんだ。(苦しいときは、外人も苦しいことをお忘れなく。。。

 <またまた外国人投資家動向 

・もう終わりかと思いきやまたまた外国人投資家のお話です。いいかげんにしろという方もいらっ しゃるとは思いますが、もう少しだけお付き合いください。

・さてさて、外国人の三市場(東京、大阪、名古屋)での買い越し額は、年初からの累計で6兆 5,038億円に達しました(8月27日現在)。暦年ベースでみると、それまでの最高であった91年の5 兆6,216円を年半ばにして早くも上回り、過去最高水準に達しています。
今回の株価上昇は、
違いなく外国人投資家の買いに支えられています。

では、今後も外国人投資家の買いは続くでしょうか?
今回は、それを考えてみたいと思います。

・世の中一般的には、外国人投資家の買い越しはまだまだ続くと見られているようです。その理由としては、

(1)景気と企業業績に底打ちから回復の兆しがみえはじめ、景気循環の局面から見
ると米国などに比べて日本の魅力が高いこと、
(2)多くの外国人投資家は依然として日本株の組
入れが少ないこと

などが指摘されています。
外国人投資家の国際分散投資が今後も続くことを考
えれば、やや長い目で見たときには外国人投資家の買いを期待できると思われます。


しかし、そ
うした一般論ではなく、「パフォーマンス(運用成績)を競い合いながら顧客から託された資産を運 用するファンドマネージャー」として外国人投資家をとらえた場合、はたしてどうなのかという点に ついて少し考えてみることにしましょう。


・ファンドマネージャーにとって最も重要なことはパフォーマンス競争に勝つことであり、これは、日本人にとっても外国人にとっても同様です(負け続ければ、職を失いますから)。
日本人が日本株 に投資するのと異なる点は、外国人の場合は為替による差益や差損を考慮した投資収益が重要 だということです。(ケトウにとって、日本株は外国資産、つまりわれわれにとっての米国株のよーーなものなのです。)

・簡単な例を考えてみましょう。
日本人も外国人も日立を1,000円で1万株買って1,200円ですべ
て売却したとします。
日本人の投資収益は売却益が200万円です。
外国人の場合は、自国通貨
で投資収益をはじきますから、日立の買付け時点と売却時点の為替レートが問題となります。
米国の投資家が、ドルで投資をするばやい、日立の買付け時点の為替レートが1ドル 100円、売却時点の為替レートが1ドル80円なら、投資収益は

(1200円×1万株÷80円)−(1000
円×1万株÷100円)
で売却益が5万ドルとなります。
でもうけて為替でもうけてそれこそウハウです。

これが、売却時の為替レートが変わるとどうなるか。
1ドル100円なら売却益が2万ドル
になります。
これが1ドル120円になると売却益は0ドル、つまり、チャラチャラです。(ポートフォリオマネージャーは、よくこの
骨折り損のクタビレモウケをやってます。)

この例は、
最もシンプルなケースです。しかし、外国人投資家が日本株投資をする場合には株価と為替の 両にらみで行わなくてはならないということは理解していただけたと思います。

そこで、です。
外国人の場合為替による差益や差損を考慮した投資収益が重要だということは、
先行きに円高期待があれば、それは外国人買いの増加につながることを意味します。
円高は企
業業績を悪化させるため、株価のマイナス要因と考えられることが多いようですが、外国人から見れば必ずしも正しくありません。
円高が進展する時期は、経済が明確に悪化しない限り外国人投資家が日本株を買いやすい局面と一致すると言えます。

・昨年秋の大幅な円高を受けて、円安懸念が払拭されていたことが年初からの外国人投資家の 買いに大きく影響したと考えられます。
7月上旬までは、
円高が進む中で海外経済への収益の依 存度が高いハイテク銘柄の上昇が顕著でした。
これは、何も
今回に限った特殊な動きではありま せん。94年前半の円高・株高局面にも起きています。ソニー、シャープ、ローム、ミネベアなどの 企業では、外国人持ち株比率が大きく上昇しました。

・しかし、ここで注意しなくてはならないのが「経済が明確に悪化しない」という条件が重要だとい うことです。
たとえば、
95年前半の80円に向かう円高は、明らかに日本経済や株式市場にマイナス要因でした。
企業の競争力は失われ、業績下方修正に結びつく円高は株価に悪影響を与えま
す。
当然、ドル建であっても日本株のパフォーマンスは悪化します。
(かぴたんの意見では、95年の円高株安はケトウから見て、続かない円高すなわち将来ドル高に見えたせいだといっています。日本が割高に見えて、いったいなんぼのもんじゃいと、ケトウはみていたそうです。ほんまかいな)

・問題は、どこが為替レートの分水嶺かということです。
これについては、次回お話ししましょう。



ピン続・外国人投資家動向 1999年8月26日
(初めての方は下の第一歩からお読みください)


前回、前々回と外国人投資家に関するお話をしました。
もう大丈夫、これで外人通!とまではいきませんが、少しは彼らの姿が見えてきたと思います。せっかく調子が出てきたところなので、もう
少し外国人投資家の動向について見ていくことにしましょう。

・まず、外国人の売買の様子はどうやったら知ることが出来るのかということから説明しましょう。
東京証券取引所が毎週木曜日に、前週(月曜日から金曜日まで)の、東証および三市場(東京、大阪、名古屋)の投資主体別の売買の状況を公表しており、その要約が金曜日の日経新聞に掲載されます。

・投資主体は大きく「自己」と「委託」に分かれ、「委託」のなかもまた「法人」、「個人」、「外国人」、「証券会社」に別れています。
東京証券取引所が公表する資料では売り、買いの金額と合計金額、
更に差引の金額が記載されていますが、日経新聞には投資主体別の売買代金差額が億円単位で掲載される場合がほとんどです。
ですから、毎週金曜日に日経新聞のマーケット総合面をチェ
ックすれば、確実に外国人の売買動向を知ることが出来ます。

・外人の大量売りで相場が下落などといわれながら、日経の投資主体別の売買代金差額を見る と外国人は買い越しだったなどということはよくあることです。
前週の相場の動きと新聞の記事を
照らし合わせながら外国人の動きを自分なりに考えてみるのもおもしろいですよ。外人も結構高いところ買ってるなとか、やつらも狼狽売りするんだというようなことがわかって。
外国人も人の子
です。

・金曜日の日経で外国人の売買状況は毎週チェックしている。次はどのような銘柄を売買しているかを知りたいと思うのは人情です。
しかし、これは東証も公表してくれませんのでそう簡単には
いきません。じゃああきらめる?いえいえ、あきらめるのは早すぎます。答えは案外身近なところにありました。

・8月の支店勉強会の資料を探して見てください。あるじゃないですか。「外資系証券7月差引金 額」と「外資系証券1〜7月差引金額」が。ここに外資系証券会社の売り越し金額上位銘柄と買い越し金額上位銘柄がずらりと並んでいます(銘柄、金額、株数を表示)。
もちろん、外資系証券=
外国人投資家ではありませんが、外資系証券≒外国人投資家と考えることは出来ます。
この資
料は毎月更新され、勉強会の資料として使われています。どうです。資料の有り難味が分かりましたか。

・今回も前置きが長くなりましたが、外国人の三市場での買い越し額は、年初からの累計で5兆 7,214億円に達しました(7月30日現在)。
暦年ベースでそれまでの最高であった91年の5兆6,216
円を年半ばにして早くも上回り過去最高水準に達しています。
今回の株価上昇は、間違いなく外
国人投資家の買いに支えられています。今後も外国人投資家の買いは続くでしょうか。それを考えるのは次回です。



ピン最初の第二歩補足 1999年8月19日(初めての方は下の第一歩からお読みください)

何を基準に外人は投資するのか?―MSCI日本株インデックスの銘柄入れ替え

さて、第二歩で外国人投資家の動向が大きく株式市場に影響を与えていることがわかりましたが、彼らの投資の仕方と日本の投資家の投資の仕方に違いがあるのでしょうか。皆さんは、この銘柄は外人が買いそうだとか、この銘柄は日本人好みだなとか見当がつきますか?

もし、彼らの買う銘柄がすばやく見極められるなら、彼らが動き出すと同時に、その銘柄を日本のお客様にも紹介できるでしょう。

まず、覚えておいてもらいたいことは、外国人投資家と呼ばれる投資家のほとんどが、機関投資家すなわちプロであるということです。このプロには主に2種類の人種がいて、ひとつは投機のプロ、もうひとつは投資のプロです。
投機のプロの銘柄の好みは簡単に説明できませんが、投資のプロ(年金勘定や、投資信託、ミューチュアルファンド等)には、あるパターンがあります。今日はこの説明をしましょう。

これらの投資プロの特徴は
プロを使っている人が別にいるということです。つまり、プロを使っている人たち(資金を実際に出している人)は、プロがちゃんと働いているかチェックしているのです。このチェックは何で行われるのかがわかれば、チェックされるプロがどう行動するのかが、見えてきます。

皆さんが出資者ならば、何で投資のプロをチェックしますか。儲けの額、出資額に対する利回り、いろいろ考えられますね。

野球でいえば、打率、打点、ホームランといろいろありますね。しかし、超一流は、野球の世界でも、相場の世界でもごくごく一部に過ぎません。
ここでいうチェックとは、平均的なプロすなわちアヴェレージバッターを評価するときになにを使うのかということです。野球で言えば、この層は3割打つことはめったにありませんし、かといって1割ではプロとはいえないでしょう。
相場の世界特に外人の投資のプロの働き具合は、打率ではなく、
ベンチマーク対比高い実績を上げたか否かで、まずチェックされます

ベンチマークとは、たとえばすべての銘柄の株を1単位づつもっていたら、何パーセントの値上がり(値下がり)になったかということです。
すなわち何もしないが金だけ持っている投資家が株式市場に投資したら素人でもいくら儲かった(損した)はずだ、というプロを評価するものさしです。(たとえば、TOPIXや日経指数がベンチマークの代表例です)

これより損をしていれば、素人以下、より以上に利益をあげて始めてプロと言われるわけですから、プロも必死です。

多くの外国人投資家のベンチマークとされているものがモルガンスタンレー・キャピタル・インターナショナル(MSCI)の日本株インデックスです。
・8月18日付の日経金融新聞に、モルガンスタンレー・キャピタル・インターナショナル(MSCI)の 日本株インデックスの銘柄入れ替えの記事が出ています。
この記事の影響で相場がかなり動い
ているのでご存知の方も多いと思いますが、念のため、内容をお知らせします。
モルガンスタンレー・キャピタル・インターナショナル(MSCI)は、17日、日本株インデックスの銘 柄入れ替えを発表した。現在305銘柄の構成銘柄のうち39銘柄を削除し、新たに30銘柄を加える。
構成銘柄の1割前後に達する大規模な入れ替えは96年8月以来。
新指数は9月から算出
を開始する。
(新規銘柄)
9984ソフトバンク、6502東芝、2914日本たばこ産業、7974任天堂、8564武富士、9022東海旅客 鉄道、8574プロミス、9783ベネッセコーポレーション、4661オリエンタルランド、4543テルモ、8577 日栄、6594日本電産、8227しまむら、8319大和銀行、3596ワールド、8326福岡銀行、7013石川 島播磨重工業、5002昭和シェル石油、2002日清製粉、9477角川書店、2267ヤクルト本社、9749 富士ソフトABC、6134富士機械製造、1860戸田建設、9751東洋情報システム、9744メイテック、 9747アサツーディ・ケイ、1951協和エクシオ、1988ショーボンド建設、3110日東紡
(削除銘柄)
6201豊田自動織機製作所、9042阪急電鉄、8331千葉銀行、5404NKK、9048名古屋鉄道、9044 南海電気鉄道、9007小田急電鉄、9104商船三井、8760日動火災海上保険、8754日本火災海上 保険、8380山口銀行、9722藤田観光、4912ライオン、1942関電工、2809キューピー、4547キッ セイ薬品工業、8394肥後銀行、2284伊藤ハム、2206江崎グリコ、4613関西ペイント、8012長瀬 産業、5423東京製鉄、5471大同特殊鋼、5937東洋エクステリア、6815ユニデン、1923ミサワホ ーム、1959九電工、5122オカモト、1333マルハ、3106クラボウ、6011新潟鉄工所、5932三協ア ルミニウム工業、2108日本甜菜製糖、1837ハザマ、1886青木建設、5562日本重化学工業、1804 佐藤工業、6330東洋エンジニアリング、9470学習研究社


・8月18日の前場の段階では、新規銘柄を買い、削除銘柄を売る動きがかなりはっきりと出ていますが、どうしてこんなことになるのかもうおわかりでしょう。

それは、日本株に投資する投資家、特に外国人投資家
の中にモルガンスタンレー・キャピタル・インターナショナル(MSCI)の日本株インデックスをベンチ マークとして採用しているところが多いため、プロを評価すものさしが変わると、プロとしての自分の投資銘柄の分散状況も変えざるを得ないからです。入学試験の科目が、英語と国語から、数学と国語に変われば、数学を習おうという人の数(需要)が増え数学の先生の給料が上がる(?)といったところです。

なにが、外国人投資家のベンチマークかを知れば、ついていく銘柄をある程度選別できますし、タイミングもある程度わかるというわけです。
更に深い読み方ができないか、皆さんも考えてみてください。


ピン最初の第二歩 1999年8月13日(初めての方は、下の第一歩から読んで下さい)

外国人投資家動向

・最近の株式相場は、外国人投資家の動向を抜きには語れない状態が当たり前になってきましたね。
外国人のハイテク買いで相場急騰とか、GSのレーティングダウンで外人の大量売りとか、

新聞でこんな記事を目にしない日は数えるほど・BR>B ・では、外国人て本当はどのくらいすごいの・/FONT>ゥ見てみよう!というわけで、これから具体的な統計上の数字を追いながら外国人投資家動向に ついてお話してみたいと思います。


・7月5日に発表された上場会社の株式分布調査(全国証券取引所協議会発表)によると、国内法人合計(金融機関、事業会社等)の保有株比率(株数ベース)は、89年3月末の66.4%をピークに 99年3月末には58.4%へ10ポイント減少しました。
これを見ても、持合いの解消が確実に進行し
ているのがわかりますね。

この間外国人はというと4.0%から10.0%へと6ポイントもシェアを拡大・/FONT>しています。
そのほか目立ったところを拾ってみると、国内個人が22.4%から25.4%へ、年金信託
も1.0%から3.0%へとシェアを広げています。

・このように、外国人の保有株比率は株数ベースで戦後初めて2桁にのり、さらに金額(時価ベー ス)で見るとなんと14.1%に達するなど、改めて外国人が90年代に入って存在感を高めてきたことがわかりますね。納得していただきましたか。

・外国人が急ピッチで持ち株を増やしてきたことはわかったが、そのパフォーマンスはどうなんだ という向きには、次のデータをご用意しました。

3月を決算月とする年度ベースで96年、97年、98
年の3年度で、外国人保有株比率が1回以上3%を上回った会社をAグループとします。
一方3
年とも3%未満の会社をBグループとします。Aグループの合計は1253社(シェア51.6%)、Bグループは1175社(同48.4%)となりました。

つぎに、このグループ別のパフォーマンスを見てみ・/FONT> とどうなるか。98年9月末と99年6月末時点の50円額面換算の単純平均を算出し比較すると、 Aグループが1007円から1663円(+65.1%)、Bグループが369円から486円(+31.7%)と大きな格差を生じています。(データの出所は野村證券です)


・ここまでくれば、どうして外国人の動向に注目が集まるのか、納得していただけたと思います。
今回は外国人のお話をしたので、次回はこのところ元気が出てきた個人の話をしてみたいと思います。


ピン最初の第一歩 1999年8月2日

・最近プロ野球中継を見ていたら、選手がヘルメットに<THANKS50、NEXT50>と書いたステッカーを貼っているのに気がつきました。皆さんは知っていましたか?これは、日本のプロ野球で、セ・パ両リーグが発足して今年が50周年にあたるため、これを記念してのものだそうです。

・ところで、50周年といえば、私たちにかかわりの深い、身近なところにもありました。実は、東京証券取引所も今年で設立50周年なのです。1949年の4月30に設立され、5月16日には戦後初めて正規の取引所で立会が再開されました。

・しかし、世の中50周年と浮かれてばかりはいられません。次から次へといろんなことが起こります。皆さんも知ってのとおり、戦後の立会再開から50周年を迎える直前の今年の4月30日に株式売買立会場が閉鎖されました(閉鎖セレモニーで立会場の天井から降った紙吹雪はきれいでしたね)。そして2000年春には、より利便性が高く柔軟性を備えた株券売買システム(といわれています)に一新される予定になっています。また、忘れていけないのが99年の10月からの株式売買委託手数料の完全自由化です。

・そこで、ここではこれから50年間の東京市場について、出足の部分だけでも展望を考えてみましょう。参考になりそうなのは一足先に株式手数料の自由化を迎えた欧米のマーケットの動向です。

・米国では、1792年の「すずかけの木協定」(すずかけの木の下で取り決められたからなんですって!)以来続いてきた固定手数料制度が1960年代から強まった自由化要求のうねりに曝され、その後の大口取引のディスカウントの時代を経て、1975年5月1日に完全自由化(メーデーと呼ばれています)を迎えました。

・米国の株式市場はその後、曲折を経ながらも現在に至る長期の繁栄を謳歌(うらやましい!)してきましたが、NYSE(ニューヨーク証券取引所)の株式市場ボリュームを見ると驚異的な増加を見せています。1975年の1日平均売買代金の5億ドルが、98年には295億ドルと約60倍になってるのです!!

・また、英国のビッグバン(英国の手数料自由化を含めた金融自由化をこう言います。日本の「ビッグバン」の本家ですね)は86年10月で、米国に比べ、約11年半遅れました。米国と同じように、株式市場ボリュームを見てみると86年の1日平均売買代金5.3億ドルが、98年には114.6億ドルと約22倍に増加しています。

・日本の株式売買委託手数料の自由化は、その英国に13年遅れでスタートすることになります。足下の株式相場は1990年からの長いながーい停滞から抜け出し、ようやく長期上昇相場入りの兆しを見せはじめています。バブル崩壊で散々悪口をいわれたいゆる「日本的システム」の制度疲労からの脱出も今まさに正念場。マーケットの効率化が一段と進む中で東京市場の再度の繁栄到来を期待し、私たちもすこし頑張ってみますか。

・とは言っても、ここは遊び場、かたひじはらずこれからしばらくお付き合いください。知っていると少しは役に立つ(かもしれない)ことを、皆さんと毎回一つづつ考えてみたいとおもいます。

続く


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