ルネッ散歩STORY


 「石岡パワーシャワー!」

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 「石岡街中散歩」
2010.5月16日













■今回のルネっ散歩は、もりだくさんなコース。前半まちなか散歩は、定番の府中城お堀跡に沿って歩きながら、古い建物を探す。現在も一般の住居として使われているモダンな建物が結構ある。一見では探せないが、路地を入っていくと、突然現れる、これぞルネっ散歩なスポットといえる。中盤、常陸國の役人として赴任した平国香の一族をルーツにする平景清にゆかりのある場所を訪ねるため、国道6号を渡る。旧街道と重なっていくこのルートには、大小の古い寺社・史跡が点在するのも歴史のまち石岡なればこそ。やがて、今回の目的地、石岡城跡に着く。突然に見晴らしのよい高台が開ける。ここに城を築こうとした昔の武士の気持ちがひしひしと伝わってくる。三村城、府中城、石岡城、皆傘下にまちを見降ろし、戦の時には敵を防ぎ、攻撃をしかけ、窮地には誰知らず逃げ道をひた走ることのできるような、すばらしい策略を思わせる場所を選んでいるのが、分かる。中世城郭のなりたち、戦略に詳しい案内人・長谷川功さんの説明も次第に熱を帯び、饒舌になる。

中世の城郭は、それこそ誰もが作ることのできるシンプルでシンボル的なもの。多少の才覚と戦術と兵をもつ豪族なら、城を築くことはできたであろう。今でいう、青年実業家、と言ったところか。それゆえ、その終わりもあっけなく沼に足をとられた馬から落ちて命を落としたり、焼き出されて力尽きたり、案外チャンバラごっこ的な戦の日々が思われる。逃走用に掘られた抜け穴なども、当時のスリルを感じさせる。(作っているときは興奮しただろうなぁ)。
そんな男たちが裸馬に乗り山を駈けていた時代・中世にタイムスリップしたような錯覚を楽しみつつ、復路に立った。後半は、もう一度まちなかに戻るため、北向観音に向かう。北向観音から寿通りのほうを眺めれば、それが名の通り、石岡の真北の方角、この隅には陰陽道に従い、以前ルネっ散歩で訪ねた隅の宮神社が配されている。国府という都市計画のあったまちらしく石岡には東西南北の決まりがしっかりと守られているのである。その寿通りには、農機を発明した鈴木万能の墓のある常光院がある。こうして最近ブームになりつつある墓巡りをしていくと、石岡のまちに眠る幾時代もの名だたる人々の影が、どこからともなく近寄ってくるようで、怖いような、懐かしいような、自分自身も人の生死の隅っこに放り出されているような、昼も夜もない大きな時の流れを感じることになる。今回のルネっ散歩のコースで、さざめく水面や苔に覆われた塚、大きく伸びた草や木漏れ日に出会い、大量の歴史のパワーを浴びた気がする。2時間あまりの散歩を終えると、足の疲れとは反対に疲れていた気持ちが洗われて、いくらか清涼な心に戻ったというと、ちょっと言い過ぎだろうか。しかし、この心地よさは、癖になりそうでこわい(キャサリン)

今回のコース 

府中城お堀跡界隈を歩きー貝地へー護身地蔵尊―平景清の塚―小目代・茨城廃寺の要石―貝地の公民館(茨城廃寺に関する書物が保管)―ばらき団地公園(古墳あと?)―ばらき台・萬福寺(税所一族の墓所)―きんちゃく石(茨城童子がもって逃げたという伝説)―旧街道・茨城廃寺あとー小目代・石岡城―田島方面―旧道にもどり、茨城廃寺の楚石常陸大掾氏の菩提寺、平福寺―貝地・月天宮―富田町の北向き観音―常光院(鈴木万能の墓)―(手塚治虫ルーツの墓)


まちかど情報センター情報紙「うきわく」54号より引用