2009
ダ・カーポ ただ今、東奔西走

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Merry X’mas、そして良いお年を!2009


Merry X’mas!
皆さま、どんなX’masをお過ごしでしょうか?
我家は毎年家族3人でプレゼントの交換をするのですが、広子のネタはもうばれていまして、パジャマです。
この間、棚の奥にしまってあるのを見つけてしまいました。
僕は年末ジャンボ宝くじを10枚ずつ。
麻理子は今年は何をくれるのか楽しみです。

でも、この時期は、なんだか忘年会で忙しいですネ。
ダ・カーポも毎日のように誰かと宴会やってます。
仕事が一段落する28日(ダ・カーポも27日の米子が仕事納めです)にも親しいTVプロデューサーと美味しいものを食べる約束をしています。

22日には、「佐野ダ・カーポをきく会」の忘年会をやってきました。
この日は、翌日が天皇誕生日でお休みですから、毎年、全国的に忘年会が一番多い日なんですってネ?
僕らはお寿司屋さんでの宴会でしたが、お店全体が忘年会という感じで、まぁ賑やかでした。
皆さん本当に良く食べ、良く飲み(ほとんどダ・カーポでしたが)、よくしゃべりました。
それこそ皆さん、あんな事、こんな事、忘れたいことがいっぱいあったんでしょうね!(ダ・カーポも含めて・・・)
来年の「佐野ダ・カーポコンサート」は5月8日。
京都フィルハーモニーを迎えての2回公演ですから、チケット販売の方も皆さん張り切って下さっていて、感謝感謝です。
「ダ・カーポをきく会」の同級生に、
「久保田(広子の旧姓)はせっかく痩せてるんだから、ドレスの肩や肌をもっと出さなくちゃダメよ。いくつになっても色っぽくなくちゃ!」とか、
「今度、振袖着たら?」とか、アドバイスというか無理難題?を言われてました。
考えてみるとデビュー36年。
「佐野ダ・カーポコンサート」も来年の10回目がファイナル。
「まぁ!よくぞここまでやってきたと思いますよ」と言うと、
「ダ・カーポは生まれついた星が、多くの人達と会って、幸せをあげるという特別な運命なんだから、これから先もずっと続けなきゃだめよ!
麻理子ちゃんもいるんだから!」と言われてしまいました。
ヨーシッ! どこまでも続けるしかないか! と涙をうるませながら思うダ・カーポなのでした。
佐野駅前のX’masイルミネーション

さて、今年のホームページについての反省は、載せてる写真がなってないこと。
例えば11月に行った釧路で食べた勝手丼なんか
食べ終わったカラの丼の写真を載せているんですから・・・。
さすがに大人しいダ・カーポファンからもお叱り(?)をいただいたりしております。
それならとカバンやポケットに入れておくのですが、
カメラを持っていること自体忘れちゃうんですから、しょうがないですね。
いつも撮られる側ですから、撮る側に回るのは慣れていないということなのでしょうか?
瞬間的に出会ったことや、感動したものを撮るのは
自分自身しかいないのですから、大きな反省点として、来年は改めたいと思います。
佐野駅前のX’masイルミネーション
という理由で、今回も楽しく盛り上がった忘年会の現場写真はなし。
スミマセン・・・・・。
そのかわり、佐野駅前のX’masイルミネーションを撮ってきました。
空の上には、くっきりと三日月が、そして少し離れたところに星がきらめいて、とても美しい佐野の夜でした。

皆さま!
もう今年が過ぎようとしております。
いい年だった方も、イヤな年だった方も、どうぞ幸せな年をお迎え下さいますよう、心から祈っております。



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秋晴れの北海道ツアー2009

小樽駅にて



小樽に向かう車窓から
今回の北海道ツアーは、11月21〜26日までの5泊6日の旅。
苫小牧、小樽、帯広、釧路の4都市でコンサートをやってきました。
どうもこの頃は、旅先での楽しみというと食べることしかありませんね。
喰い気だけですネ!

早速ですが、あの六花亭≠フ本店が帯広にあるのを御存知ですか?
その本店でしか売ってない雪こんチーズ≠ネるものを食べて来ました。
カルタほどの大きさのビスケットの間にチーズケーキがはさんであって、
パリッ!のあとやんわりとくる食感と甘酸っぱさがなんともおいしくて、手軽に食べられるケーキという感じでした。

小樽ではパンじゅう≠ネるものを発見!
一見、今川焼きのようなのですが、味のほうは・・・分かりません!
実は、店の親父さんにまとめ買いを拒否されてしまったのです。
小樽駅ホームのランプ
他に待っているお客さんもいるし、持ち帰ると湯気で本来の味が違っちゃうし、
初めて食べる人には、なおさらそんなもの食べさせられない!とのこと。
うーん、しっかりしたポリシーがあるなぁ!と納得せざるをえなかったのでした。

釧路は最終日ということもあり、疲れがたまっていたので、入り時間まで僕はひとりホテルでゴロリとしていました。
しかし、広子や麻理子は元気元気!
和商という市場まで出かけていってお昼を食べて来たのでした。
そこで勝手丼なるものに遭遇したといいます。
勝手丼っていったいいかなるもの!?
店に入ると「勝手にしろいっ!」と放っておかれるのかと思いきや、
御飯をよそった丼に自分で好きなように食べたいものをのせる丼物なんだそうで、
な、なんと! イクラ、ウニ、カニ、イカにホタテをのっけて、わさび醤油をかけて食べるのだという。
幻の勝手丼! 食べたあと写してどうすんの?
広子は思い出したように舌なめずりをしながら、
「もう、いろんなものをたくさんのせるから御飯が見えないの! マーチャンも来ればよかったのにー!」って、
ク・ヤ・シ・イ・じゃありませんか!
「喰い物の恨みは恐ろしいよー!」と思わずワナワナと唇を震わせたのでした。
でも、「これ市場のお寿司屋さんでにぎってもらって来たヨ」とおみや≠差し出されて、
どうにか怒りは収まったのでした。

食べ物の話はこれくらいにして、会館まで乗ったタクシーの運転手さんの話しによると、
冬の釧路の風は海から肌を刺すように吹いてくるのだといいます。
雪は3月が一番多く、6月になると短い春と夏が来て、霧の季節となり、9月にはもう秋というより、冬がやって来るのだそうです。
帯広のステージ
「1年の半分は冬ごもりだネ! いっそのことクマになりたいですよ!」だって!
でもこの頃のクマは冬眠しないんですってね?
温暖化で。
去年なんか、真冬にこの近辺にクマが出たんですよと指さしたあたりは、
今日のコンサート会場の釧路市民会館がもうすぐのところなのでした。

苫小牧のお客様
今回も嬉しいことがたくさんありましたが、
何といってもファンクラブの方々がコンサートに足を運んでくれたこと。
北海道のお住まいの方は勿論のこと、
東京や埼玉からも泊りがけで来ていただきました。
それも2日続けて見て下さった方も。
感謝感謝ですネ!
本当にありがとうございました。



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飛鳥Uクルーズにて2009


    
小名浜港、出港前の飛鳥U


「飛鳥Uで航く紅葉の日本一周クルーズ」で、
ダ・カーポ一行は福岡港出航から五つ目の寄港地の小名浜港から乗るべく、日暮れの福島県泉駅に降り立った。
駅から乗ったタクシーの運転手さんは俳優の西田敏行さんにそっくり!
独特のイントネーションで「え?飛鳥に乗んの?いいなあ〜」
「いえいえ、私たちは仕事ですから」
「いつか、うちの女房を乗せてやりたいなア〜」と、しきりに羨ましがられた。
小名浜港には飛鳥Uをひと目みようと大勢の人たちが集まっていた。
見送りに集まったたくさんの人々
賑やかにバンド演奏もやっている。
岸壁には鈴なりの人、人、人。
夜の闇の中に華やかな光を放つ飛鳥Uは息を飲む美しさだった。

夜7時半。
いよいよ出航である。
ボー!と汽笛が鳴る。
両岸からペンライトが振られ、船を見送る人たちから大きな掛け声が上がる。
「気をつけてねー!」
「また来てね!」
遠ざかる岸壁と見送りの人々
船が静かに岸壁を離れてゆくほどに、交わす声も大きくなってゆく。
見送る人、見送られる人、縁もゆかりもない人たち同士なのに、なぜか胸が熱くなってゆく。
「元気でねー」
「さよならー!」
「ありがとう!ア・ス・カー!」
いつしか乗船客たちも、それに応えて、みんなで一斉に声を合わせて
「あ・り・が・とー!お・な・は・まーーーー!」と繰り返した。
港の突端まで追いかけてきた子供たちが甲高い声で「さよならー!」
名残を惜しむかのように汽笛がボーッと鳴って、最後の別れを告げた。
船の別れとはいいものである。

ダ・カーポ船内コンサート
本番当日。
船上のコンサートなので、曲目も吟味した。
なにしろ"揺れ"には気をつけなければならない。
ドレスに身を包んでもピンヒールなど履いてはいけない。
いえ、履けない。
とにかく足元がふらついては音程も狂うし、フルートは歌口が(息を吹き込む穴)ずれてしまっては大変。
ギターだって指が滑る。
踏ん張っていたら、足の裏に波のうねりを感じた。
ふっと揺れるままに身を任せてみたら、大海原に漂いながら歌っている心地良さを感じた。
麻理子のフルート演奏も、政敏のギターもハモリもいい感じ。
いつもとは違う、船上での演奏を楽しんでいたように思う。
お客様には喜んでいただけたようでほっとした。
今回のクルーズで講演会のため乗船なさっている橋田壽賀子さんとダイニングでお会いしたとき、
「あなたの歌と、お嬢さんのフルートと、ご主人のギターがあればそれで充分。とても良かったわよ」とお褒めの言葉をいただいた。
和室で五目並べ

仕事も無事に済んで気持ちにゆとりがもてたので、船内のあちこちを探索してみた。
最上階に和室をみつけた。
畳に碁盤が設えてあった。
麻理子はやったことがないというので、簡単な五目並べを教えてやった。
窓の外は真っ赤な夕暮れである。
初めは余裕で勝っていたつもりが、いつのまに負けが込んできて、けっこう熱くなってしまった。
気が付くと海は漆黒の闇になり、静かな波音だけが響いていた。
こんなにゆったりとした時間がもてたのは船旅だからこそなのかもしれない。
瀬戸内海の夕日

今回のクルーズは西日本新聞社主催ということもあって、乗船客は九州の人がほとんど。
小耳に挟んだお風呂での会話:「毎日おいしかモンばっかり食べとるケン、太っちゃったわ!」
それを聞いたBさん「なに言うトット、ダイエットなんて船ば下りたら始めればよかとヨ!」と高笑い。
とにかく、皆さん明るい。

明日は福岡港で下船。
最後の夜である。
夕食のあと、麻理子はマネージャーの松本と二人で連れ立って、最上階のバーに出かけていった。
二人がカウンターにすわり、バンド演奏を聴きながらグラスを傾けていると、
バーテンダーが、二人にオーシャンブルーのカクテルを差し出しながら、「どうぞ、あちらの方からです・・・」
飛鳥Uの船上にて
カウンターのその先に目をやると、
渋めのロマンズグレーの紳士が葉巻をくゆらせながら、グラスを軽く上げて会釈をした・・・。
ほろ酔い気分で帰ってきたふたりに、そんな話を振ってみたところが、
「そのようなことは何もございませんでした」だって! 
またしても、運命の出会いにはぐれたふたりでありました。


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「第1回 イギリス館フルートコンサート」を終えて2009


ピアノの宮崎絵理さんと11月2日、イギリス館コンサートは無事第1回目を終えることができました。
おいで下さいました皆さま、悪天候の中をありがとうございました。
そしてたくさんの温かい拍手を、本当にありがとうございました!
今回のパートナー、ピアノの宮崎絵理さんも、
「お客さまがあたたかくて幸せな気持ちになりました」と言っておりました。
それにしても、私は雨女なんでしょうか・・・。
2日当日のみが、雨に強風。おまけに前日から10度も下回る気温。
それでも満席のお客さまにおいでいただき、重ねて御礼申し上げます。

ピアノの宮崎絵理さんと
今回はフランスからのお客さまもいらっしゃいました。
2年前にフランスのオビニエ・スール・レーヨンという町の
サン・ドゥニ教会でコンサートをしてまいりましたが、そちらでお世話になったラミイ市長さんが丁度来日していらして、
お忙しいスケジュールの中をコンサートに駆けつけて下さいました。

さて、休憩にご用意したお菓子と紅茶もたいへん好評だったようです。
横浜の関内にあるフレンチレストラン「ラタトゥイユ」のシェフの手作りマカロンは、大人気でした!
お菓子だけでなくどのお料理もおいしくヘルシーで、しかも家庭的な雰囲気でいただけるレストランです。
シェフは以前、霧笛楼にいらして、実は私が赤ちゃんのときに、
母が元町で私を乗せたバギーを押しているのをよく見かけたんだとか(笑)
様々なご縁を感じるイギリス館コンサートでした。
次回は3月5日金曜日です!皆さまお待ちしております。


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ラジオ「ビバリー昼ズ」2009

東貴博さんと
11月13日 ニッポン放送の「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」に出演しました!

なんと20年続いているラジオ番組で、東貴博さんの「若旦那まつり2」というコーナーに出演いたしました。
今回は榊原麻理子ひとりの出演で、両親の素顔を両親の居ぬ間に(笑)あれこれトークが盛り上がりました!

イギリス館シリーズコンサート、11月2日の第一回目は、おかげさまで満席となりました。
ありがとうございます。
イギリス館さっそく第2回目が3月5日に決まりました!
今回お問い合わせいただきながらも、
お席の都合でおいでいただけない皆さま、
ぜひ次回お待ちしております。
詳細は近くなりましたら、
またHPなどでお知らせさせていただきます。

イギリス館
11月2日に向けただいまプログラムを練り直したり、
リハーサルをしたりと、準備も大詰めです。
当日お出しするお菓子も、
横浜のとってもおいしいフレンチレストランにお願いしました。
そちらもお楽しみに♪
お待ちしております!

「元町中華街駅」5番出口からイギリス館まで歩いてみました。
私は歩くのが早い方で、5、6分、思いのほか近かったです。
「谷戸坂」は急な坂ですので、徒歩で来られる女性の方はヒール靴だと、帰り道の下り坂はちょっと大変かもしれません・・・。

イギリス館で見つけたチョコレート☆イギリス館でみつけました☆
横浜の洋館の絵が入ったチョコレート。
ついつい買ってしまいました(^^;


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第1回 イギリス館フルートコンサート2009


残暑お見舞い申し上げます!
暑さの厳しい中、皆さん夏バテなどしていませんか?
夏は冷たい飲み物などの取りすぎが、体調を崩す原因になってしまいますよね。
私は最近では、夏でもホットコーヒーに熱い緑茶です。
コーヒーや緑茶は身体を冷やす効果がある飲み物ということですから、わざわざ氷を入れなくてもちょうどいいようです。

さて、榊原麻理子フルートコンサートのお知らせです。
11月2日(月)18時半開演、会場は横浜・山手のイギリス館です。
イギリス館は、昭和12年にイギリス総領事公邸として建てられて以来、港を一望できる丘の上に立つ人気のスポットであり、市民に親しまれている洋館です。
この歴史ある洋館で、コンサートを開くことは前々から思い描いてきたことなのですが、今回ようやく実現することになりました。
実はイギリス館は両親にとっても思い出深いところであったようで、
ダ・カーポがアマチュア時代(38年前!)にイギリス館のライブが、出発点でもあったという話をよく聞いていました。
当時、お菓子と紅茶つきでなんと500円!
仲間同士が交代で照明や音響を担当したり、港の見える丘公園でカップルに声をかけてお客さんを呼んできたり・・・
今聞くとびっくりしてしまうような話ですが、当時の手作りコンサートの思い出話を聞いて、私もこのイギリス館でコンサートを開きたいという気持ちになりました。
2度ほど下見をさせていただきましたが、音響も自然で、とても素敵な空間でした。
そんなわけで、このコンサートはシリーズとしてスタートさせようと思います。
自分が育った街でのコンサートとして、大事にしていきたいと思います。
1回目はピアノの宮崎絵理さんとフルートのデュオでお送りします。
深まり行く横浜の秋をフルートの音色とともに、満喫していただければ幸いです。
お待ちしております!

(コンサートの詳細、チケットのお申込先はこちらを御覧ください)

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琵琶湖ホテルサマーコンサート 〜京フィル&日高のり子さんと〜2009

琵琶湖ホテルサマーコンサート〜京フィル&日高のり子さんと〜



京フィルの皆さんとは、昨年6月に京都コンサートホールでご一緒して以来の共演です。
ディナーショーでオーケストラが入ることは、ただでさえ豪華な演出ですが、
ご存知「となりのトトロ」のサツキ、「タッチ」のミナミの、声優・日高のり子さんの
司会とナレーションも入り、ひときわ華やかなステージとなりました。

ダ・カーポの歌とは別に、プログラムの中では井村誠貴さん指揮の京フィルの皆さんと、
私のフルートで共演させていただきました。
チャルダーシュとラフマニノフのヴォカリーズ。
オーケストラとの演奏は初めてということもあり、前々から楽しみでしたし、
挑戦する気持ちで臨んだプログラムでした。
今までダ・カーポワールドが広がっていたところに、
次の瞬間、弦の、息を潜めた出だしでラフマニノフのヴォカリーズが始まると、
ステージから発している緊張が会場に伝わっているのか、
京フィルの皆さんとそれとも、客席から耳をすませる様子がこちらに伝わってくるのか・・・。
どちらも混ざりあって、会場をラフマニノフの哀愁が支配しているようでした。
私はどこか冷静に、それを全身で感じていて、
一瞬で人の感情を支配してしまう音楽のパワーに、改めて気づかされたのでした。

ところで、2日間の滞在中は、京都の祇園祭の「宵山」と「山鉾巡業」と重なり、
琵琶湖ホテルは、宿泊客でひときわ賑わっていました。
お祭りは見に行けませんでしたが、
ホテルの部屋にいながら夏の琵琶湖を満喫することはできました。
部屋の窓を開けると、琵琶湖の穏やかな波音が聞こえてきて気持ちがいいのです!
冷房を切って、窓を開け放って、波音と湖面を渡る風の中で過ごしていました。
そして夜は、湖面から噴出すような噴水がライトアップされ、
幻想的な琵琶湖を見ることもできましたよ♪

琵琶湖の夜景









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政敏の絵ハガキが発売されました!2009


横濱開港150周年記念『ダ・カーポ絵入り葉書』夏本番を迎えようという季節、皆様いかがお過ごしですか?
今回の東奔西走は政敏が担当します。

さて、今日7月14日、わたくし、政敏の絵が官製ハガキになって発売されました!
嬉しいなァ!
横濱開港150周年を記念しての発売です。
事務所の松本が朝一番に藤沢の郵便局へ行って、10セットばかり買ってきました。
まだ、これから窓口に並べるところだったそうです。
ハガキからまだ湯気が出ていたそうですよ。
横浜の開港を祝ってのポストカードですので、神奈川県内でしか手に入りません。
県内の各集配局※(大きめの郵便局)で購入してくださいね。
(我が事務所でもOK! お申込方法は「お知らせ」のページをご覧ください。)
ちなみに5枚セットで¥300です。
官製ハガキですから、切手を貼らなくていい訳で、けっこうお得ですよね。

横濱開港150周年記念『ダ・カーポ絵入り葉書』スケッチを始めて7〜8年になりますが、ちっとも腕は上がっていません。
ただ楽しんで幸せな気分で描いてます。
(広子には、うまくならなくていいヨと言われてます)
絵になる街横浜を絵にした絵ハガキ。
どうぞ使ってくださいね。


※集配局とは、留守中に書留や小包などの配達があると「郵便物等お預かりのお知らせ」を入れていってくれますが、
 そのお知らせを持って、引き換えにいく窓口がある郵便局のことです。



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函館でのコンサート2009


7月3日、この日も関東地方は、どんよりとした梅雨空でした。
天気予報によると函館は晴れ22〜3℃。
朝晩は肌寒いだろうと予想して、キャスト、スタッフ誰もが長袖を羽織るなど「寒さ対策」している中で、
一人、マネージャーのSさんの半そでワイシャツという出で立ちに、漏れなく「きっと寒いよ〜」と突っ込まれていました。
今日は横浜と同じく開港150周年を迎えている函館でのコンサートです。
はこだて音鑑の皆さんとともかく、気持ちも萎えそうな梅雨真っ只中の東京を出発し、
函館空港に降り立ちました。
出迎えてくれたのは、広々とした青い空に、初夏の日差し!
そして清々しい風が吹き抜ける爽やかさ!
ここ数日の雨と蒸し暑さに辟易していた関東人にとっては、
なんともいえない開放感です。
それでも地元の方たちにとっては、今日は蒸し暑い日だそうで、
会場へと向かうタクシーの中で「え~贅沢!」と口を揃えて
冷房を切ってもらったほど。

さて、今回のコンサートの中では、
今年1月に訪れたネパールの旅の模様をスクリーンでお送りし、
ダ・カーポが支援を続けているアムダ・ネパール子ども病院の様子などの
函館といえば、海の幸! コンサートの打ち上げで映像をご覧いただきました。
そして会場の皆さまに募金を募ったところ、
本当にたくさんの温かいご支援が集まりましたので、ご報告させていただきます。
募金総額 \157,601.―
この募金は、AMDAを通してネパール子ども病院に送らせていただきます。
はこだて音鑑の皆さまの温かなお心、本当にありがとうございました。

温かいといえば、こんなこともありました。
本番前の楽屋でひとりフルートの音出しをしていると、
廊下でなにやら「お〜!!」とか「おいしそ〜」だのと盛り上がっているのです。
様子を見に行ってみると、楽屋前のケータリングに黒山の人だかり(大げさ)。
コンサートの打ち上げで並びましたるは、お菓子に飲み物のほかに、富良野夕張メロンや唐揚げなど・・・。
中でも父の大好物、揚げたてのコロッケにテンションも急上昇。
用意してくださったのは数年前もコンサートでケータリングを用意してくださったお母さん。
そのとき父がコロッケが好物と言ったのを覚えていてくださり、
わざわざ揚げたてを用意して下さったのです。
おまけに、お弁当には手作りのなめこのお味噌汁を出してくださり、
本番前の緊張した身体にしみこんでいったのでした。



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梅雨空の中、ガンバッテます!2009


このコーナーのタイトルのようにダ・カーポはただ今、東奔西走≠オております。
先日は九州の粕屋町でコンサートがありましたが、今度は函館に行ってきます。
函館も横浜と同じ、今年開港150年を迎えていて、町はにぎわいを見せていると思います。
港町はいいですね。
琵琶湖ホテルでのSummer Live石畳の坂道、教会、西洋館・・・
函館は夜景が美しいですね。
その上、海の幸が豊富でおいしい!
うにイクラ丼にイカ素麺、食べちゃおうかな?
なんて、皆さんに申し訳ないですね!?
でも、やっぱり食べてきます。
函館のコンサートの御報告もお楽しみに!

東京は7月10日に船堀タワーホールでやります。
先日、ファンの方に「東京でコンサートないんですか?」と聞かれて、「近々はないんです!」と答えてしまいました。
船堀は江戸川区なんですね。
それにしてもスケジュールの認識がなさすぎる僕なのでした。
猛省いたします!

7月17日は琵琶湖ホテルでディナーショーをやります。
ディナーショーといっても、ただのディナーショーじゃないんです。
京都フィルハーモニーのオーケストラの皆さんとですから、超豪華なステージですよ!
広子は衣装も豪華にしなくてはと、衣装選びに余念がありません。
ファンクラブや佐野のダ・カーポをきく会の皆さん、総勢20名の方々が遠くから来てくれるそうで、嬉しいですね。
どうぞ皆様、お楽しみくださいね。

ファンクラブ会員限定プレゼントのポスターファンクラブといえば、先日、会報でファンクラブ限定の
サイン入りポスター(デビュー35周年を記念したもの)プレゼントを募集しましたら、
今までで一番多い応募がありました。
なんだか嬉しいやらビックリするやら、ちょっと恥ずかしいやらです。
でも僕はこのポスターが好きなんですよね。
全体が黄色っぽいというかオレンジ色というか、とにかく昔の電球色≠ネので、
あったかい感じがするのです。
高級な寿司屋さんに行くと(時々ですが)、店内全体がそんな色で幸せな気分になるんですよね。
このホームページを御覧の皆さんも是非「ダ・カーポファンクラブ」に御入会ください。
何しろ年会費1000円ですから!
今年は、ファンクラブ限定のコンサートやディナーショーもやりたいと思っています。

じめじめした日が続きますが、冷房で体調をくずさないように、お互い気をつけましょうね。


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RKB毎日「味わいぶらり旅」2009


<RKB毎日「味わいぶらり旅」>
私は2度目の出演です。
小倉、門司港駅、黒崎、と、北九州のレトロな町を散策する旅でした。

小倉といえば松本清張の生誕地。今年は生誕100周年ということで地元も盛り上がっているようでした。
私は今回のロケのために読み始めた「点と線」をきっかけに、松本清張作品にハマッています!今「ゼロの焦点」を熱読中です。
門司港駅なんといっても犯人が誰かを自分も推理し、一緒に謎を解いていくおもしろさと、
私にとっては昭和のアナログ感が魅力に感じます。
電車の時刻表がキーとなる「点と線」で言えば、携帯で目的地まで一括検索の時代だったら、
時刻表トリックなど考えつかなかったでしょうね。
ドラマ化、映画化が多い清張作品ですが、41歳で作家としてデビューし、
執筆した作品は1,000作あまり。うち出版されたものは700作品だそうです。
ロケで訪れた清張記念館には、実際の書斎が再現、保存されていました。
なんと、自宅からそのまま運び入れたという、玄関や応接室、そして書斎は、
ガラス越しに見ても生活感が匂ってきて、タバコのこげ跡の点々とした仕事机や、
使い込まれた大きな革張りの椅子に、
さっきまで清張が座って執筆していた様子が見えるようでした。
ぶらり港町、門司は、いわゆる「レトロな街」で、
門司港駅は大正3年開業の日本最古の駅舎だそうです。
駅の自動改札機も茶色に塗られて、異質な感じはなく溶け込んでいました。
住民の皆さんの意見でそうなったことからも、地元の方に愛されている駅でした。

たまたま母が改札口で、課外授業なのか腕章をして立っている中学生に気づき、
突撃アポなしインタビュー!5分刈り頭に学ラン姿の地元中学生、岩崎くん(仮)は、突然のカメラと照明に一瞬ひるんだようですが、さすが九州男児!?
母のいろいろな質問に終始しっかりと受け答えていました。
本当に大正当時にいたような、純朴そうな少年でした。

港の方へ行くと、赤レンガ倉庫や、明治、大正を匂わせる西洋館。木の桟橋のかかる港。歴史ある港町の様子がところどころ横浜と重なります。
ベイブリッジが関門橋というところかな。
驚いたのは、地図上でしか見たことのなかった本州と九州の海峡は、泳いで渡れそうなくらいの幅だということでした。

旦過市場にて「味わい」の方はというと、昔ながらの地元のお店を中心にロケして回ったのですが、
なにしろ北九州は安くて美味しいお店が盛りだくさんで・・・、
私が中でも好きだなーと思った味は、昭和22年創業の中華料理屋さん「萬龍」さん。
店内は昭和当時のままだそうで、
微妙に波打つガラス窓などがレトロな雰囲気をかもし出していました。
いただいたのは、鶏から揚げ、味噌めん、春巻き、たーるー麺の4品。
やっぱり関東とは味も見た目も違うのです。
といいますか、お店オリジナルなのでしょう。
実物がお見せできないのが残念!

★味噌めん
これは名前から想像して味噌ラーメンだろうと思っていたら、スープがない!
一皿の中に、味の濃そ〜な黒っぽい味噌が、麺を囲んでいて、
ちょっと「えっ」と身構えてしまう感じ・・・。
おそるおそる(失礼)一口いただいて、びっくり。
味噌が意外なほど薄味で、甘しょっぱい味噌が麺とよく絡んで、本当においしかった!
味噌味が食欲をそそって、夏場なんかツルツルいけちゃいそうです。
★春巻き
ライスペーパーではなく、なんと、卵で巻いてあるのです。
一口大にきってあるそれは、まるで巻き寿司のようで、見た目にも美しいしヘルシー!
もやしのシャキシャキ感も○。
★たーるーメン
太麺で野菜と豚肉たっぷりの、あんかけ塩味のラーメンでした。
あんかけ麺って、私の場合一番ラーメンらしく食べてしまうメニューです。
あえて「しまう」といったのは、あのあんかけの熱々。
どんなに涼しい顔で食べようとしても、口に運んだ瞬間からハフハフ言いながら食べてしまうでしょう?
熱い→食べたい→熱い・・・もう、一生懸命。

ところで、どれをとっても感じたのが、身体に優しい味付けと食材、そして何よりほっとするような、家庭の味だなということでした。
食卓に手早く作られたアツアツのお母さんの手料理が並ぶ。
そんなイメージです。
そしてその通り、ご主人のお母さまの家庭料理が「萬龍」の味で、ずっと変わらぬ味を守っていると聞きました。
なるほど、作る人の愛情は、必ず食べる人に伝わるんですね。
ご馳走様でした!

「味わいぶらり旅」は、RKB毎日放送で、6月21日、28日2週にわたって(九州地方のみ)放送されます。
ぜひ、ごらん下さい!



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皆さんに感謝2009

佐野のコンサート終演後ダ・カーポ二大コンサートといえば、
毎年、横浜と栃木県佐野で開かれるコンサート。
それぞれ23回目と9回目を迎えました。
本当にファンクラブの皆さんには、いつもながら雨や風、嵐の中
(どうしていつもこうなんだろう!)、
足を運んでいただき、心から御礼申し上げます!
お陰様でどちらも盛況のうちに終えることができました。
横浜は僕の故郷で、
佐野は広子の故郷というダ・カーポにとっては特別なコンサートです。
1986年の寅年から始まった横浜コンサートも、
来年は2回りめの寅年を迎え24回目となります。
佐野はコンサート企画自体が10年続けようというものでしたから、
いよいよ来年が一応の区切りとなります。
こうやってコンサートを長年続けられることを本当に幸せに思っています。
ファンクラブの皆さん始め、
ダ・カーポを支えて下さっている方々に心から感謝!感謝!です。

佐野のコンサート終演後、ダ・カーポをきく会の皆さんとところで横浜でのコンサートの後は、
ファンクラブの皆さんだけで自主的な打ち上げ≠中華街で開いたそうです。
佐野の打ち上げも(ダ・カーポも参加)ダ・カーポをきく会の皆さんに交ざって
ファンクラブの方々も参加。
そのにぎやかなこと! 明るいこと! 和気あいあいというより和気ワイワイ!という感じでした。
そんな風にダ・カーポを介して輪が広がるのが、ダ・カーポにとって一番嬉しいことです。

「ダ・カーポ故郷を大切にしようプロジェクト」(いつからこんなプロジェクトが?)では、
この度、広子がとちぎテレビ「きらめき栃木」のナレーションを担当すなりました。
毎月1回、収録のために栃木(宇都宮)に帰ることになります。
今回は鹿沼さつき=B
全国的にも有名だそうで、海外にも愛好家がたくさんいるとのこと。
広子も自分の知らなかった栃木に、これからたくさん出会えそう!と番組を楽しみにしています。
OAなど詳しいことは「お知らせ」のページで、どうぞ!

さて、栃木出身の作曲家といえば船村徹さん。
先日5月12日にNHK歌謡コンサートでご一緒しました。
ダ・カーポの代表曲のひとつ「宗谷岬」は船村先生の曲。
「コンサートツアーでも、南の町へ行けば行くほどリクエストが多い曲です」とお話しすると、「北の最果ての風に憧れるんだろうナァ」とボソッと一言。
しゃべり方も船村流です。
「フルート、娘さんでしょ? 達者だネェ」と言われて、麻理子も嬉しそうでした。

さて、5月29日はNHK金曜バラエティに出演します。
久しぶりにチェリッシュのおふたりとご一緒です。
ぜひ御覧下さいネ!

「こんな御時世だから・・・」が合言葉になっているような昨今。
その上、新型インフルエンザですが、この暗い雰囲気に飲み込まれないようにしましょう。
こんな御時世≠セからこそ、ダ・カーポは明るく元気に、清々しく歌っていきたいと思います。



コンサートを終えて2009

スタンド花もたくさんいただきました横浜での毎年恒例のダ・カーポコンサート。
今年は、『チケットを買ってくださっている方でも家を出るのが面倒になってしまうだろうなぁ』と
思ってしまうような大降りの雨となってしまいました。
そういえば、昨年も雨、春の嵐の日も・・。
しかし、私たちの心配をよそに、今回も広島、京都、岐阜などの遠方からの方も含めて、
たくさんのお客様に来ていただくことができました。
毎年、本当にありがとうございます。

さて、今年のコンサートは「横濱開港150周年」記念イベントということもあり、
横浜のオリジナル曲を中心に全17曲をお送りしました。
まずは「青春のままに」でスタート。
「この街の風に吹かれて」、「バスが坂道を下りてくる」、「本牧の子守唄」、「よこはまマリー」、
「横浜縁日一六地蔵」、「BayStarsを観にいこうよ」。

続く「ビデオリクエスト」のコーナーでは映像で3名の方々にご登場いただき、
鈴木元文部科学大臣から「赤い靴」、
スタンド花もたくさんいただきましたフランスのラミ市長から「よこはま詩集」、
草野仁さんからは「ベストパートナー」のリクエストをいただきました。
そして、ここでちょっと雰囲気を変えて、
麻理子さんのフルートで「バロック&ブルー」をお届けし、
メンバー紹介に続いてはダ・カーポのお馴染みのオリジナル曲から
「野に咲く花のように」、「宗谷岬」「結婚するって本当ですか」、
最後は「15秒の風景」で盛り上がって、まずは本編は終了。
アンコールでは再びスクリーンを下ろし、
ダ・カーポが1月に訪れたネパールの旅の様子と
AMDA子ども病院の10周年記念式典の模様などを、20分ほどの映像に編集して、
ナレーションと「上機嫌なまち」、「命の花」の演奏を交えながらお送りしました。

販売コーナーでは、今年は特別に「よこはま詩集ポストカードセット」が初登場!
ダ・カーポが「よこはま詩集」を歌っているときのバックに、
まさとしさんが描いた横浜の風景画なども映し出されていたこともありまして、
終演後の販売では、用意していた分があっという間に完売となりました。
(当日、販売されたものとは組み合わせなど多少違いますが、
「よこはま詩集」ポストカードセットは販売中ですので、ご希望の方は「お知らせ」のページを是非、御覧ください。)
終演後の握手会にも、長い行列ができて、
「今年も最高だった」、「ビデオリクエストのコーナーが楽しかった」、「ネパールの旅、すごく面白かったよ!」など、
ニコニコしたお顔で感想を聞かせてくださって、『すごく楽しんでいただけたのだなぁ』と肌で感じることができて本当に嬉しかったです。
ネパールこども病院への募金もたくさんご協力いただきました。
今年もたくさんの皆様のご協力で無事にコンサートを終えることが出来ました。
本当にありがとうございました。

勝ちゃんのお祝いケーキ



追伸:
このコンサートの翌日が、ピアノのかっちゃんの結婚式でしたので、
リハーサル前の楽屋で出演者、スタッフが集まり、みんなでお祝い。
おめでとうございます。


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第23回 ダ・カーポ横浜コンサートも近づいてきました!2009



ウォーキングコースにある桜このところ、朝のウォーキングを毎日、続けています
(モチロン旅先では出来ませんが・・・)。
以前は昼でも夜でも歩けばいいんだ・・・と不規則な時間だったのですが、
やっぱり朝!
朝がいいですね!
人間ってやっぱり朝日を浴びないと体に良くないんだそうです。

体が1日の始まりを感じることが大切なんだそうで、
1日のリズムを体に自覚させなくちゃいけないというわけです。
自宅の周りは朝からウォーキングやジョギングをする人で、
けっこう賑やかです。
ウォーキングコースの途中にはソメイヨシノや垂れ桜が見事に咲く公園があって、
毎朝、僕たち(モチロン! 広子とふたりで歩いてます・・・
誰ですか? 朝から一緒かい!! なんて言ってる人は?)の目を楽しませてくれます。
さて、どうしてこんなに体調に気を使っているかというと、
それはやはり4月25日(土)の関内ホールのコンサートのためなんですね。

それに、今回は15時開演ですから、
入り時間も、リハーサルも前にズレこんで早くなるんですね。
ですから、当日の起床時間の7時半(頃?)に
今から体のリズムを合わせているというわけです。
ダ・カーポはエライね!

今回は横浜開港150周年とダ・カーポデビュー35周年を記念してのコンサートですが、
1月に行ったネパールの旅のビデオも見ていただこうと思っています。
ネパールの旅は過酷でしたからね!

ウォーキングコースにある桜でも改めてビデオを見ると、不思議なことに3人とも実にリラックスしてるんですよね。
いい顔してるんです。
心が裸になっているのが分かるんです。
何ていうか、・カッコワルイ・自分でいられるというか、
あとは野となれ山となれっていうような開放的な自分になれる、
ネパールってそんな不思議な国なんだなぁ。
あんなに大変な旅だったのに、ビデオを見ながら、
また行きたくなってる自分に驚いてしまうんですよね。

前回の「昨日・今日・明日」で麻理子のネパール旅日記がありましたが、
それとはまた違うダ・カーポ3人三様のまるで出てしまった・素・が見られます。

今回も全国からファンの皆さんが集まってくれます。
神奈川、東京、千葉、埼玉は勿論のこと、栃木、京都、福山、愛媛などからも!
本当に嬉しいかぎりです。
感謝してます。
気をつけて来てくださいネ。
当日は関内ホール近くの八重桜の並木も、きっとまだ咲いていて、


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ネパール日記 vol.52009

ポカラのひとときネパールの旅もいよいよ終盤を迎え、
今日ポカラからカトマンズへ戻り、明日帰国の途につく。
ところがその朝、昨日までくっきり見えていたアンナプルナも、
すぐ近くの標高の低い山でさえ見ることができないほど、空は分厚い雲に覆われていた。
思えばネパールへ来て初めての曇り空だった。
乾季とはいえ、常に山が見えていることはめずらしいそうだ。
ふといやな予感が頭をよぎる。
この国では視界が悪いと飛行機の遅延、欠航は当たり前だ。
飛行機は9時15分発。
とっくに出発の時刻を過ぎていたが、いまだ飛行機が飛ぶメドは立っていないという。
ホテルのロビーで待つ間、このまま晴れなければ欠航になる可能性があるので、
車をチャーターして陸路で行くべきかという話が持ち上がった。
私たちはカトマンズへ戻ったらもう1泊して帰る予定だが、もう一家族が一緒で、
さっそく日本で仕事が待っているのでどうしても今日中にカトマンズに行き、
バンコク行きの国際線に乗らなければ間に合わない
(バンコク経由で日本へ帰国する)という切羽詰った状況だった。
最初は、えぇっ!?それは大変ですね!などと他人事のように言っていた榊原一家だったが、
Oさんが「私たちも今日中にカトマンズに帰らなければ、翌日の国際線に間に合いませんよ」とズバリひと言。
飛行機が飛ばなかったらポカラでもう1泊してもいいや〜、などと悠長なことを考えていた私たちも、
ようやく置かれている状況を把握した。

しかし問題は、空路では30分のところを陸路では7時間かかるということと、悪路の山道を行くので危険ということだ。
カトマンズ発の飛行機の時間を考えると、午前中には決断しなければならない。

空を見上げても、いっこうに太陽がのぞく気配はなかった。

輪になって「ウ〜ン」と空とにらめっこしていると、ホテルの売店のお兄ちゃんが手に持っていた楽器を指差し、
「フルート吹けば晴れるかもよ。」といつの間にか会議に参加していた。
そうだといいんだけどねェ・・・。

とうとうタイムリミットの時間になっても、雲の切れ目すら見当たらなかった。

現地のコーディネーターさんが手配したワゴン車に乗り込む。
運転席を見ると、つやつやした黒髪の長髪をオールバックにしたドライバーさんが、
たくましい腕でハンドルを握っている。
後ろ姿からでもわかるコワモテのお兄さんの背中には、「飛ばします」と書いてある。元暴走族か?
どうか安全運転でお願いします、といいたいところだが、もうこちらは彼に命を預けるしかない。

撮影:押田芳雄そしてハードで長い車の旅は始まった。
でこぼこ道を、クラクションとともに猛スピードで車は行く。
決して大げさではなく、車内は洗濯機の中状態だった。
後部座席に積んだトランクが飛んでこないように押さえつつ、
お尻は飛び跳ねるわ、頭は窓にぶつけるわで、
きっと着くころには痣だらけだろう。

出発して20分。
道すがらさっそく縁起の悪いものに出くわしてしまった。
正面衝突したらしく激しくフロントガラスが割れたトラックが2台。
この細い道で、どうやったら正面衝突するんだと思っていたが、
理由はすぐにわかった。
走っている車は荷物を大量に積んだトラックや、定員オーバーなバスがほとんどなため、のろのろ運転が多い。
そんな車を当たり前のように追い抜き追い越ししていくのだが、お互いの車体が長い分、
当然追い抜くのに時間がかかるわけで、それを「え?ここで?」というような曲がりくねった尾根道でやるのだ。
車2台がやっと通れる道幅で、すぐ下は断崖絶壁。
対向車が来たらアウトである。
そして来ちゃった場合がさっきの事故車となる。
ちなみに別パターンとしては、車道を踏み外して崖に落ちることもあるそうだ。
ひえ〜。
すべては時の運なんだなぁ。

山間の村しかし、悪いことだけではなかった。
飛行機だったら30分のところを7時間かかるのだ。
空の上からでは目にできない風景を見ながら行くことができた。
美しい段々畑や、山あいには
山岳民族の暮らす小さな集落が見えたりした。
変わっていく景色ごとにいくつもの村を通りすぎ、
そこで生活している人々を車窓から見るのは飽きなかった。
頭に大きなカゴを乗せて働く母親、野良仕事をしている父親、
川で洗濯をする女性たちがいる。
町とは違った、昔からあるネパール人のくらしがそこにはあって、
すごく貴重なものを見ているような気がした。
そうそう、川で洗濯ならぬ、洗車しているところも目撃した。
なんとトラックごと川に入って洗っちゃうのだ。
大自然の河川の真ん中でおじさんがゴシゴシやっていた。
なんとも大胆な発想というべきか。

もう何時間たったか、運転手さんが鳴らすクラクションが、心なしかイラついてきたように思える。
カトマンズに近づくにつれ、車の量も増えてきたのだ。
ここまでなんとか無事に来れたのだから、このまま無傷にたどり着きたいものだ。
カトマンズ市内に入ると、いよいよ運転手さんの苛立ちはピークに達した。
あとちょっとなのに、空港へ向かう道は渋滞でなかなか思うように進まない。
と、ここでドライバーさんシビレを切らしたか、ついに強硬手段に出た。
ハンドルを右に切った次の瞬間、対向車が川の流れのように我々を避けては後ろに消えていくという、
ありえない状況に一瞬何が起きたのかわからなかった。
そう、反対車線を逆走し始めたのだ。
クラクションは非常警報音のごとく鳴りっぱなしだ。
今まさに、ハリウッド映画張りのカーチェイスを地でいっている。
こんなことは後にも先にも、2度とないだろう。

「ブ、ブラボー・・・。」
カトマンズ国際空港のゲートをくぐると、自然発生的に拍手が沸き起こった。
バックミラー越しに、やり遂げた男の白い歯が光った。
サンキュー、ミスター。
いい仕事したね!
でも次からは安全運転をよろしく!
結局、7時間かかるところを5時間でたどり着いたのだった。
「日本でまた会いましょう!」
別れを惜しむ間もなく、帰国組の一家は大急ぎで出発ロビーへと消えていった。

飛行機から見たヒマラヤ山脈そして私たちはというと、ホテルのロビーに着くや否や、父が
「本気で新聞にダ・カーポの死亡記事が出ると思った」
とぐったりとソファーに身体を沈めた。

こうして私たちの旅は終わり、
翌日、帰りの飛行機から雄大なヒマラヤ山脈を見ながら、
その麓の小さな国ネパールに別れを告げた。
今思うとこの旅の、
どの1日も意味のある出来事ばかりを体験してきたと思う。
異国文化の新鮮な刺激だけではなく、
ひたすら一生懸命に今を生きている人々のパワーに、時には圧倒され、
また時にはじんわりと温かい気持ちにさせられた。
強烈な人間臭さを感じる国、
それがネパールの魅力のひとつのような気がする。

おわり

ここで波乱のネパール日記は終わりますが、この旅をビデオで撮影したものを
4月25日土曜日(15時開演)横浜関内ホールでのコンサートの中でお披露目することになりました。
私、麻理子のナレーションを入れてご紹介しますので、どうぞお楽しみに!
皆さまお待ちしています!

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ネパール日記 vol.42009

湖畔で卓球をする人々病院での仕事を終えたダ・カーポは、
2、3日ゆっくりする予定で・ポカラ・へ向かった。

トレッキングの出発地でもあり、
アンナプルナ山系が近くに望めるポカラは、
観光客も多く訪れる。
空気もさわやかでのんびりした町だ。

朝6時。
まだ辺りが暗い中、私たちはホテルを出発した。
サランコットという展望台まで
神々の山を照らすご来光を仰ぎに行くのだ。

くねくねした山道をワゴン車にゆられて3,40分ほど行くと、山頂に近づくにつれ人と車が増えてきた。
もうすぐ着こうというとき、現地の運転手さんが「ガイドはいらないですね?」と確認するので何のことかと思っていると、
どこからともなく数人のネパール人が「ガイドはいりませんか〜?」と車に集まってきた。
「チャイナ、チャイナ(いらない、いらない)」と言っているのだが、
ひとりの男性が突然助手席のドアを開けて乗りこんできたではないか。
これにはびっくりして「ガイド要りませんよ!」と言うのだが、
片言の日本語で「ダイジョウブ。日本語、勉強スルタメ、ツイテイクダケ」と言う。
これほど怪しいものはない!
(しかも運転手さんも何事もなかったかのように彼を乗せている)

そして車が入れないところまで来ると、ここからは徒歩で展望台まで登る。
たどり着くまでに、小さなお土産屋が重なり合うように軒を連ねていて、
ネパールの特産品であるパシュミナやシルクのストールが色とりどりに店先に並んでいる。
中には店先で機織機で織っている女性もいた。
すごいなー、手織りでこんな模様が織れるのかー、などと関心して見ていると、
付いてきた例の彼が、「ココ私ノオ姉サンノ店デス。安イヨ。」と言った。
・・・ハハ〜ン。

ようやく石段を上がりきったところで急に視界が開け、

観光客たちのガヤガヤする声にまじり「コンニチワー」と日本語が飛び込んできた。
一人のネパール人女性が、出迎えるように構えたお土産屋の前に立っている。
「こんにちわー」とこちらも返していると、突然「あー!!」と彼女が大きな目を見開いて父と母を指差した。


サランコットにて「あー!!」とまったく同じリアクションをする2人。
実は前回2人がプライベートで訪れたとき、知り合いになったそうなのだ。
実に5年ぶり。
よくお互いに覚えていたものだ。
ヒラさんというその女性は我々に椅子を用意してくれたり、

お茶を入れてくれたり、「寒クナイ?」とヤクの毛で織った
新品のストールを巻いてくれたりして、世話を焼いてくれた。
ちなみに我が家では、前回この店で買ったヤクのストールを愛用している。

そうこうしている間にあたりが明るくなってきた。
目の前には白く浮かび上がるアンナプルナ山系の大パノラマが広がっている。
そこに朝日が当たって真っ赤に染まるというのだから、どんなに美しいだろう。
その一瞬を見逃すまいと、カメラも心の準備もOKだ。

朝日に輝くマチャプチャレ午前6時57分。
ようやく東の空に、赤オレンジ色の光が昇ってきた。
それは次々に白い山肌を照らしていき、赤のような金のような、
神々しい姿に塗り替えていった。
最初はバシバシとデジカメのシャッターを押していたのだが、
そのうち液晶越しにこの光景を見るのがもったいなくて、
刻一刻と変わっていく山の表情をひたすら目に焼き付けた。
記憶は写真よりも美しく残るに違いない。

ところで「例の彼」とは、私たちが山と朝日を見ている間中そばにいて、
時おり片言の日本語で会話をした。
日本人が来るたび、こうして会話しながら覚えるそうなのだが、
言葉遣いの難しい日本語の独学は大変だろう。
彼が帰りの車までついてきたので、チップを渡そうとしたら「私、何モシテナイ」と決して受け取らなかった。
「サヨナラ」と、屈託のない笑顔で私たちを見送ってくれた彼は、車が見えなくなるまで手を振っていた。
わたしたちから学べたものは、あったのだろうか・・・。

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ネパール日記 vol.32009

ライトアップされた子ども病院病院に着くころには日はとっぷり暮れていて、おまけにネパール全土は今、
毎日16時間も停電していて、
バスの中からは灯りがポツリポツリと見える程度だ。
いったいどこをどう走っているのか、デコボコ道で揺れる、揺れる。

しばらくして突然、
バスの中総勢27人の日本人が「お〜っ!」と歓声を上げた。
視線の先には、暗闇に浮かび上がる、赤白黄色の電飾!
に飾られた病院だった!
ディズニーランドのパレードを思い起こさせるような、
ファンタジックな病院なんて初めて見た。
どうやら貴重な電気を使って、私たち日本人を歓迎してくれているらしいのだ。
きっと準備は大変だったろうと思うと、うれしかった。

バスから降りた私たちをまず出迎えてくれたのは、近所の子どもたちだった。
最初は2人のかわいい女の子が、恥ずかしそうに「where are you from?」と聞いてきたと思ったら、
あっという間に2、30人の子どもたちに取り囲まれた。
「名前はなんていうの?」「ギターだ!」私が持っていた父のギターに興味があるようだ。
みんな人なつっこくて、暗闇の中でも好奇心で瞳がキラキラしているのがわかる。

さて、ダ・カーポは明日のステージのため、これからリハーサルをすることになっていた・・・はずなのだが?
ここはネパール。
予定通りに行かなくて当たり前・・・。

なんだかんだで午前0時を回ったころだったか、ようやくリハーサルが始まった。
インドに近く温かい地域といっても、朝晩は吐く息が白いほどに冷え込む。
手作りらしいステージに上ると、ところどころフニャっとする危険地帯アリ。
そんなわけで、あすの本番靴は用意していたヒール靴からスニーカーに変更!
現場に現れた音響屋さんは、まだ少年のような男の子3人だった。
曲順、曲だしのタイミング、マイクスタンドの位置、それぞれ念入りに確認していく。
英語が通じないため、
私たちに同行してくれているOさんが、マネージャー代わりとなり、

式典に集まった人々(撮影:押田芳雄)ネパール語とジェスチャーを交えて
一生懸命に私たちの要望を伝えてくれた。
Oさんは本番でもステージ脇で彼らに的確に指示を出してくれ、
どんなに助かったか知れない。

そうして迎えた当日の式典は良く晴れた空の下に始まった。
原色に彩られたテントの中には
予想を超えて500人ほど集まっているだろうか。
実は前日に私にひとつ役割が増え、「君が代」をフルートで吹くことになった。

ネパール国家のあと、壇上に上がり「君が代」を吹き始める。
私のフルートに合わせて日本人が起立で斉唱すると、
一瞬にして会場がピシーッとした日本の空気に染まったようだった。
まずはひとつ大役をこなしたという気持ちで一礼すると、
壇上にいたネパール人に「ヨクデキマシタ!」と片言の日本語で褒められた。
日本から遠く離れたこの国で、国歌を吹くことになるとは思ってもみず、
ちょっと晴れがましい気分だった。

子ども病院・ダ・カーポのステージ(撮影:押田芳雄)そして、ダ・カーポのステージでは
「ナマステー!サバイ、サンチャイチャ?
(こんにちはー!皆さん、元気ですか?)」
と呼びかけに始まり、自己紹介もネパール語で。
ネパール語は日本語と語順が似ているのと、
ほぼカタカナ発音で通じるので、
以外にとっつきやすい言語なのだ。
やはりその国の言葉で挨拶すると、反応も温かい。
そして、たとえ歌詞の意味がわからなくても
ネパールの方々は手拍子をくれたり、どの曲にも大きな拍手をして下さった。

子ども病院の式典に来ていた子どもたちよし!うけてるぞ!
最後は「命の花」という曲だ。
「心つなごう 手と手つなごう そのぬくもり 確かめ合おう」というサビの
部分を、ネパール語で歌うことにしようと、この日のために練習してきた。
客席に「一緒に歌いましょう」と投げかけ、2,3回一緒に練習すると、
すぐにメロディと歌詞を覚えて「OK!」と返ってきたのには驚いた。
それに、急に仲間意識のようなものが芽生えて、
会場いっぱいのネパール人、そして日本人が一緒になっての

大合唱となった。
みんな、楽しそうに歌っている。
本当に嬉しかった。
一昨年フランスの教会でコンサートをした折にも思ったが、
音楽はやはり、国境を越えることを再確認した思いだった。

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ネパール日記 vol.22009

バイラワ空港で出迎えてくれた院長ら右手にヒマラヤ山脈を見ながら、カトマンズから飛行機で40分ほどのところ、
バイラワ空港に降り立った。
インド国境に近くに位置しているため、
カトマンズ仕様のセーターでは汗ばむ陽気だ。
私たちを、病院長さんはじめ病院関係者の方々が出迎えてくれ、
鮮やかなマリーゴールドのレイをひとりひとりにかけて下さった。
この旅の目的地、ネパール子ども病院はどんなところだろう。

95年の阪神淡路大震災の折、
焼け野原のようになった長田区を訪れたことがあった。
チャリティコンサートのためだったか、両親は当時中学生だった私を連れて、
震災のすさまじさを見せてまわった。
木造の家の一部だったらしいものは炭のように真っ黒になっていて、
さわってみるとまだ温かい、生々しさが今も記憶に残っている。
ネパール子ども病院は、この震災のとき、駆けつけた各国の医師団の中で、ネパールの医師達の献身的な働きに、
神戸のお医者様たち(「アムダ」という国境なき医師団)と被災地からの寄付によって、
お返しとして建てられた病院なのだ。
ダ・カーポも、縁あって「ネパール子ども病院」を微力ながら支援している関係で、明日、3人でステージを贈る。

ついに来たぞと、私は身が引き締まる思いがした。

・・・のだが、1本後の便で来る予定のアムダの皆さん方が、カトマンズが霧のため、飛行機が遅れているという。
あらら。
思わぬ待ち時間ができてしまった。
タクシーの運転手やポーターとおぼしき人たち、それに近所に住んでいる人たちが、日本人をめずらしがって、
最初は興味津々に集まってきたのだが、そのうち思い思いに散ってゆく。

もうそのあとは、鳥のさえずりや遠くで聞こえる牛の鳴き声と、世間話をするネパール人の声しかしない。
心地よい静けさと、温かな陽気に、せっかくの膨らんだ仕事モードも、ぷしゅーっと空気が抜けてしまう。
なんという、のどかな光景なのだろう。
木陰で昼寝している人たちを見ていたら(一応、空港です)思わずあくびが漏れた。

約2時間遅れて、第2便が到着した。

今回の旅は、病院に行く前に、もうひとつ重要な目的があった。
釈迦の生誕地ルンビニで、震災で亡くなった方々の慰霊をするのだ。
そのために日本から、高野山蓮華院のご住職が同行された。

ルンビニ 悟りの菩提樹我々を乗せたバスは、世界遺産、釈迦の生誕地ルンビニへ到着した。
広大な平原に、
カトマンズのボダナートで見たタルチョー(万国旗のようなカラフルな旗)が、
やはり八方に伸びている。
それは巨大な菩提樹から伸びていた。
何本かある菩提樹の下では、僧侶が念仏を唱えていたり、
人々が思い思いの場所で祈りをささげている。
私も不思議と肩の力が抜けて、

居心地の良い菩提樹の下で深呼吸してみた。
「世界遺産」といえば、整備されほぼ観光化されているのかと思いきや、
寺院の遺跡や、仏陀が産湯をつかった「池」などが
ほとんどありのままである。
その気負わなさが、ホッとさせるのかもしれない。


菩提樹の下 祈りのバターランプ考えてみれば「世界遺産」は後付けされたもので、
ここは昔から人々の心の拠りどころとして存在しているのだ。

ところで、4月8日(釈迦の誕生日)生れの私としては、
ここに来ることができたことに、少なからず縁を感じてしまう。
「樹齢何千年なんだろう・・・?」菩提樹を見上げていたら、
黄色いボロボロの袈裟をまとった年老いた僧侶が、
手招きして線香を差し出してくれている。
バターランプで線香に火を点して供えると、とても良い香りが立った。
僧侶は今度は、金と赤の糸で撚った細紐を取り出し、
私の首に巻いてお経を唱えてくださるではないか!
何か、ものすごくありがたい。

菩提樹の前でそうして、石塔の前で、慰霊祭が執り行われた。
日本人一行が正座をして頭を垂れている様は、
外国人にはそれはめずらしく不思議な光景に映ったことだろう。
観光客や巡礼者がしばらく足を止めては、
私たちを「見学」していった。
子ども病院へ向かう前に、この地を訪れたことは、
なんだかとても意味のあることのように思える。
いつの間にか斜めになっていた心が、軌道修正されたような。

夕日に染まるルンビニをあとにし、
私たちはいよいよブトワールの子ども病院へ向かった。

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ネパール日記 vol.12009

♪"牛が道路で寝そべってる
  犬は首輪をつけてない

  男同士手をつないでる 尊敬のしるしです"

ダ・カーポがはじめてネパールの首都カトマンズを訪れた時の印象を歌った歌「上機嫌な町」の一節です。
首都カトマンズの街の光景は、まさにその通りでした。

今回、私は初めてネパールを訪れましたが、
こんなに魅力的でおもしろい国に行けたことに感謝しています!
ブトワールにある日本人が建てたアムダ・ネパール子ども病院の10周年式典にて、
ミニコンサートをするべくネパールを訪れたわけですが・・・
何回かに分けてこの旅を皆さんにご紹介したいと思います。


<上機嫌な町>
カトマンズ初日、空港から夕方ホテルに到着したダ・カーポ一行は、夕食までの時間、さっそく市内見物に出かけた。
今日から10日間ネパールで過ごすからには早くこの国に慣れなくては!

ボダナートの町並父と母は「麻理子、すぐ日本に帰りたいって言うなよ」なんて
半分本気で心配しているが、たぶん、大丈夫だろう。
根拠のない自信があった。
(今回はネパール通算10回目のベテラン、Oさんが同行し、色々案内してくださいました)

タクシーを拾い、ボダナートというチベット仏教の聖地へ。
ネパールでは先に値段を交渉する。
2ウェイでいくらか、とOさんが交渉してくれている。
とにかく、任せよう。

♪"道がなければ迷わない
  信号ないから たごまない"

信号と車線のない道路を、車とバイクと人力車と、牛と犬と人とが縦横無尽に行きかっている。
みんなせっかちな性格なのか、追い越し、追い抜き、我先へ。
絶対「お先にどうぞ」なんて道をゆずらない!横断歩道もないから、人も好きなところを適当なタイミングで渡っていく。
当然クラクションの嵐。
でもしばらく見ていたらこのクラクション、「どけー!」というより「通るよ〜」という合図の感じ、かな?
(たまに「どけー!」もあった。)

ボダナート、仏陀の知恵の目宿泊しているホテルから2,30分ほどの道のりを、
赤いマスクをした(カトマンズは排気ガスで空気が悪いので)陽気な運転手さんが、
ネパール語訛りの英語で我々にずーっとしゃべりかけているけれども、私たち親子3人はほとんど聞き取れず、
助手席のOさんとはなにやら会話が成立している様子。
さすが!
この運転手さんに「帰りもお願いね」と言うと、
「赤いマスクが目印だよー」と笑顔で手を振った。

ボダナート参拝の入場料100ルピー(120円)払って中に入ると、
まず目に飛び込んでくるのは、巨大な目。
石造りの巨大なドームの上に金色の塔が立ち、

四方に「ブッダの知恵の目」が描かれていて、さらにその上に
帽子のような四角錘から四方八方にカラフルな万国旗のような
旗がはためいている。
初めて見るにはあまりに異様なこの塔を囲うように、
一つの町のようになっていて、「町」の中に入ると騒々しい車の音が遮断されて、別世界に入ったような感覚だ。
カトマンズ市街の喧騒とは違った、巡礼者と観光客でにぎわっている。
訪れている人々を見ると、やはりチベット系の顔をした巡礼者や僧侶が多い。
そしていたるところに、マニ車が目に付く。
チベット仏教の宗教具で、円筒形の筒の中に経典が収められていて、

小さな恋人たちこれを回すと回したのと同じだけお経を読んだことになるらしい。
別に、ラクしてるわけじゃない?便利な道具だなぁ。
ふと母が「祈るっていいでしょ?」と言った。
そういえば、どこを見回してもみんな手を合わせて何か呟いて祈っている。
私が手を合わせるのは、初詣とお墓参りくらいか。

この国の挨拶は、手を合わせて「ナマステ」と言う。

帰り、赤いマスクの運転手のお兄ちゃんがニコニコ笑顔で待っていた。
帰り道のタクシーでは、おしゃべりはネパール語講座に発展。

私たちは明日ブトワールの子ども病院に行くんだと言うと、
「明日、私たちはブトワールに行きます」を
ネパール語で一生懸命教えてくれた。
(でも、よくわからなかった)
おしゃべりが好きで、なんだか知らないけど機嫌が良い。
それが私にっとてネパール人の最初の印象になった。

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「神奈川イメージアップ大賞」授賞式2009

神奈川イメージアップ大賞ただいま!ネパールから無事帰国しました。
3人とも、お腹もこわさず、風邪もひかず。
それにしても物事が予定通りに運ばないのがネパールの常識(?)
まだネパールボケから覚めやらない私たち3人を、
夕刻5時、ロードマネージャーの桜井君のお迎え。
時間ピッタリ!

26日、横浜みなとみらいのパンパシフィックホテルにて
「神奈川イメージアップ大賞」授賞式が行われました。
受賞者は以下4組と、特別賞:北京オリンピックソフトボール日本代表チーム
・(株)崎陽軒
  (ダ・カーポはいつも新幹線移動にはシュウマイ弁当にお世話になってます。)
・ENEOS野球部(我が事務所のガススタンドはいつもENEOSです。)
・横浜市の都市デザイン活動(横浜の都市景観美はNO1ですね。)
・ダ・カーポ いただいた盾には以下のようなうれしいお言葉が刻まれています。

  第11回 神奈川イメージアップ大賞   ダ・カーポ殿   あなたは地元横浜を拠点に、35年間にわたり活動を続け、   横浜をテーマにした数々の美しい歌を発信し、多くの人の心を癒し元気を与えています。   近年は親子でさらに活動を高めることに、大いに貢献されました。   ここに賞を贈り、その貢献を讃えます。   2009年1月26日   毎日新聞社   社長 朝比奈 豊
「神奈川イメージアップ大賞」をいただきました思い返せば7年前、これまた偶然にも、初めてネパールを旅した帰国直後、 「横浜遊大賞」をいただき、続いて翌年「横浜市文化奨励賞」、 そして今回「神奈川イメージアップ大賞」と三つの賞をいただきました。 ダ・カーポはこれからもずっと横浜、神奈川を愛し、 良い音楽活動を続けていきたいと願っています。 これからもよろしくお願いいたします。 さて、話は変わりますが、ネパールでは色々と面白い体験をしてきました。 次回からのHPで麻理子のネパール旅行記をご紹介します。どうぞお楽しみに!

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〜ネパールへ行ってきます!〜2009

ネパールへ行ってきます皆さん、お元気ですか?
ダ・カーポはこれから(1月14日)、ネパールへ出発します!
といっても、厳密には、バンコクに1泊しますから、
明日、首都のカトマンズに到着するわけです。
カトマンズからバイラワに飛んで、車で40分ほど揺られてブトワルに着きます。
(インド国境に近い町ですからカトマンズよりずっと暖かいんですよね)

5年振りのネパール子ども病院訪問です!

この病院を設立した日本の国境無き医師団、AMDA(アムダ)の
お医者様や関係者の皆さんと御一緒の旅になります。
病院が設立されて、今年で10年になりますので、
その記念イベントに参加するというわけです。

実は、この病院が建てられたきっかけは、
阪神大震災の折のネパールの医師たちの懸命な救援活動にありました。
その献身的な姿に感動した神戸の医師たちの力が集結し実を結んだのです。
1月17日(震災記念日)にイベントが催されるのも震災で亡くなられた方々の供養をするためでもあります。

イベントではもちろん歌いますよ!
ネパールの子供たちをイメージして作った「命の花」(「青春のままに」のカップリング曲)のサビのネパール語も、
どうやら3人の息が合ってきましたしね。

いよいよ出発ですそれから、お知らせがひとつ。
「アジアンスマイル〜新しい命を救いたい〜」という番組が
1月18日の18:10〜18:35にNHK−BS1でOAされます。
子ども病院で頑張っている、あるネパール人女性の看護師さんのドキュメンタリーです。

この番組を見ていただけると、ダ・カーポが行く病院がどんな現状なのか、
よくおわかりいただけると思います。
ぜひ御覧下さいネ。

「お金や医療器具の寄付も嬉しいが、
何より嬉しいのは遠い日本で我々を見守っていてくれる人がいることだ」
これはネパール子ども病院を5年前に訪問した時の院長さんの言葉です。
だから、やっぱり支援は・心・なんですね。
微力ながらも長く続けていくことが大切なんだと改めて思います。

それでは行ってまいります!
帰国(1月23日)しましたら10日間の旅の御報告をさせていただきます。

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謹賀新年2009


新年のご挨拶初春のお慶びを申し上げます。
皆様どんなお正月をお迎えでしょうか?

今年も良い年になりますよう、心から祈り申し上げます。

ダ・カーポは1月3日にお目出たい番組に出ますよ!
タイトルも「初夢の景色」(NHK 19時半〜)
久しぶりに大阪NHKホールでの収録でした。
なにしろ大阪ですから歌あり、お笑いありの楽しい番組です。
ぜひお楽しみに!

お目出たいといえば、
今年早々に毎日新聞社が主催する「神奈川21世紀の会」から、

神奈川に貢献した人に贈られる「神奈川イメージアップ大賞」をいただくことになりました。
なにしろ横浜生まれ、横浜育ちのダ・カーポですから、とても嬉しいです!

それから14日から10日間ほど、ネパールに行ってきます。
微力ながら支援を続けてきたAMDAの「ネパール子供病院」の設立10周年記念式典に参加するためです。
5年前に子供病院を2人で視察に行ったことがありますが、地域住民にこの病院がとても頼りにされていることや、
ひとつのベッドに妊婦が2人、背中合わせに寝ていたりする状況を知り、現状はどうなのか?
ぜひ、また訪ねたいと思っていたわけです。
今回は麻理子もいっしょに参加します。

式典では3人でライブなどもやります。
只今「命の花」のネパール語ヴァージョンを特訓中です。

そんなわけで、今年もダ・カーポは前向きに、つんのめらない程度に、前のめりに行きます!
3人になったダ・カーポも早や1年。
皆様、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
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